ユング分析心理学に基づく16タイプの美徳と悪徳、第三弾はENTJである。ENTJはその悪徳のせいで「強欲」「金の亡者」と非難を受ける。ENTJは人々から避けられたり、言いたくないことを言わせるために利用されたりする。創作物で悪の親玉として選ばれるのはENTJである。

この美徳と悪徳には裏付けがある。統計的には、ENTJが16タイプ全ての中で最も高収入である。ENTJは一見するとESTPのように見えることがある。これは彼らがSeチャイルドである所以である。しかしENTJは人のことなど気にしていない。ESTPは人の気持ちを気にするが、ENTJは自分の気持ちを気にする。

これを踏まえて、ENTJの美徳は利他主義である。そして悪徳は強欲、または貪欲となる。利他主義とは何か?これは人に寄付したり、協力的になることを指す。彼らには道徳的な羅針盤があるので、その気になれば非常に利他的に振る舞うことができる。この基準となるのは他の人がどう感じるかではなく、自分がどう感じるかである。

もしENTJが誰かを評価すれば、時間、お金、労力などのリソースを彼らに提供するだろう。路頭に迷っていたら、仕事をくれるかもしれない。彼らは非常に責任感があり、利他的に他者を支援することができるが、同時に貪欲にもなり得る。ENTJは金持ちである可能性が高い。彼らは時間やお金の使い方が合理的で、多くのリソースを持っている。そしてTeヒーローは他人の考えを吸収するために、よく本を読む。

ENTJは何よりも忠誠心を必要とする。ENTJがあなたの中に何かを見出して、お金、資源、権力、仕事を与えたとする。そこには、これだけ利他的に協力したのだから、きっと自分に忠義を尽くしてくれるだろうという期待がある。普通の忠義ではなく、盲目的な忠誠すら希望しているかもしれない。これは秘密契約だが、場合によっては秘密でもなんでもなく、あからさまに「お前は私に借りがある」と言う可能性もある。ENTJは与えたもの以上のものを取り立てようとする。

ENTJは全てを投資の観点から見る。投資は良い収益率が必要である。つまり、人にリソースを提供する場合は、それ以上の見返りがなくてはならない。そのため、彼らは強欲または貪欲と称される。何の見返りも求めず、利他的であることはできない。これは状況によって異なる。与える時は何も考えていないかもしれないが、時間が経つにつれて「あの人間は自分に借りがある」と感じ始める。これはINTPの影が原因である。時間と共に影で育まれた考えが、自我を侵食し始める。それを自分のものとして受け入れるか、選択しなければならない。その点には注意が必要である。ENTJの内なる子供は、皆に良い経験を与えたいと思っている。

ただし、最終的にはSiトリックスターが邪魔をする。Neクリティックは「あいつは自分に借りがあるのに邪念を抱いている」と考え出す。INTPの影は、与えた以上のものを回収しようとする。ここで悪徳の貪欲が登場する。彼らは利他的だが、放っておくと関係が悪化した時に、投資からの利益を期待する。だからENTJに何かを与えられた時は、そこに秘密の契約がないことを確認し、何の制約もないことを理解させなければならない。

重要なのは、あなたがENTJに何かを求めているのか、ENTJが自主的に提供しているかである。ENTJが自由意志で与えている場合、彼らは利他的である。しかしあなたが窮地に陥り、それを脱するためにENTJに何かを求めた場合、それは貸しとして認識される。たとえ口に出さなかったとしても、それは秘密契約となり、強欲が発動するかもしれない。ENTJは全てのタイプの中で最も寛大だが、その寛大さを利用すると、貪欲になり、投資した分の利益を回収しようとする。

このやり取りにはENTJを含め、関係者全員に責任がある。しかし、開始型であるENTJに、あなたが主導でリソースの提供を求める場合、後々投資に値する利益を回収されることは心に留めておいた方がいいだろう。ところで、ENTJは物忘れが激しい。だからこのやり取りを書き留めておく必要がある。そうすればENTJは告発されることもないし、不正行為や貪欲さを糾弾される恐れもない。彼らは自分の対面や評判を非常に気にかけている。人は金持ちのENTJを見ると、自動的に貪欲であると思い込むのである。

それは実際には全く真実ではない。ENTJはその機会を与えられれば、非常に道徳的な人々である。しかし他の人々はENTJが不正行為によって富を得たと非難することに忙しく、その機会を与えようとしない。彼らにはINTPの影があるので、その非難も全くの的外れではないのだが、ENTJは物忘れが激しいので、証拠を隠滅することを忘れてしまう。これによって、ENTJは定期的に告発される。

彼らはこのように利用され、責められる。あなたがENTJのリソース目当てで、ENTJに個人的な興味がなく、対価を提供せずに人間性を非難するなら、それはENTJを利用していることになる。INTPは定期的に非難されるので、非難されることを嫌う。彼らには社交スキルが欠如しているので、容易にそのような立場になってしまう。だからENTJの中に存在しているINTPの影は、貪欲だと非難されるならその通りに振る舞ってもいいだろうと考える。不正行為を侵していると責められるなら、やってやろう。なぜ自分が道徳など気にかけなくてはならないのか。

ENTJを責めるのではなく、彼らとコミュニケーションを取ることが重要である。彼らの美徳を発揮するように仕向ければ、自由意志で利他的になることができる。Seチャイルドは皆に良い経験を与えたいと思っている。その意志は強い。ENTJは物資、時間、アドバイス、雇用、コネなどあらゆるリソースを提供してくれるが、それは彼らの自由意志に任せなければならない。何かを頼みたいなら、対価を提供する必要がある。この美徳と悪徳は、アイン・ランドのオブジェクティビズムの背景となる哲学である。ENTJほどオブジェクティビズムが似合うタイプはない。「肩をすくめるアトラス」の主人公ダグニー・タッガートはENTJ、著者であるランドはINTJであることを思えば、それも当然だろう。そしてジョン・ゴールトはENTPである。ENTPとINTJは最も互換性が高い。そこでランドはENTPヒーローの本を書いた。

ともかく、これがENTJの美徳と悪徳、強欲と利他主義である。彼らを利用したり非難するのではなく、双方にとって有益な関係を結んでもらいたい。そうすれば彼らは利他的になり、自分のリソースを気前よく提供してくれるだろう。