今回は「職人」として知られるSP気質の人々に登場してもらう。職人は自由をベースにしたクリエイターである。彼らは非常に創造的で、機械的認識に優れ、周囲の物理的環境を操作することができる。これには車いじり、トラクターの運転、住宅の建設、図面、デザインなど手や工具を使ってできる作業が含まれる。
職人を構成する4つのタイプはESTP、ESFP、ISTP、ISFPである。彼らは今この瞬間に生きており、自分の望むもののことばかり考えている。統合された感覚は義務と規律に関するものであるが、これはSPたちの心の無意識側にある。彼らの意識にあるのは意志の力である。このため、「何をすべきか」ではなく、「何をしたいか」がモチベーションとなる。
家族にSP気質がいる場合、彼らに選択の自由を与えなければならない。SPの子供には選択の自由を与えなければならない。家事をやらせる場合、洗濯をするか、料理をするか選ばせるのである。そうすれば、彼らは尊敬されていると感じるだろう。これはSPの配偶者がいる場合も同様である。時には彼らが「家事をしない」という選択をする自由も認めなければならない。
SPと付き合っている人間はSJであることが多い。SPは恋人が何をすべきか、自分が何を望んでいるか教えてやるといい。SJは喜んでその通りにするだろう。SPは人口の30%を占めており、SJタイプと統合して合計70%の勢力を得る。SPたちは目の前にある現実を重視しているので、理論の話を嫌う。SJの方が理論に対してはオープンである。SPの意志決定は論理に基づいている場合もあれば、道徳に基づいている場合もあるが、いずれにしても現実が基準となる。
彼らは他の人々に良い経験を与えたり、何かを見せようとする。それは全て創造性から生まれている。その創造性は自由がなければ成立しない。SPたちはヒーローかペアレントにSeを持っているが、それは自由を得るために行使される。あるいは、他の人々に感覚を与えるためかもしれない。これは性的な意味でもそうである。彼らはSJというキャンバスに絵を描きたいのである。
一般的に、酔っぱらいを見ると人はSPを連想する。全ての依存症は不安を管理するための手段だが、アルコール依存症は最も自己意識の制御を必要とする。アルコールによって、彼らはより敏感になる。SPたちは物事に即座に反応するという習性を持っている。すぐに反応しなければ、忘れてしまうからである。チャンスは一度しかない。今すぐ反撃しなければ、後で行動するエネルギーは残っていないだろう。
SPと対照的に、Siユーザー、特にSJたちはすぐに反応しない。SPたちは正面から相手とマンツーマンで戦うことを好むが、Siユーザーはすぐに反撃せず、時間をかけて好機が訪れるのを待つ。そして相手にとって最も不利な瞬間に打撃を与え、復讐を遂げるのである。
SPは優れた戦術家である。彼らは事前に計画を立てることなく、その場で出来事に反応する。物理的な衝突や人生におけるネガティブな状況では、彼らは戦術を使ってそれに対応する。戦術とは、特定の状況に即興で反応したり対処するために下す決定である。
一方、戦略とは何らかの戦いや衝突の前に事前に計画されるものである。SPは戦略など立てずに本番に臨む。SJは一日の計画を立てるが、SPは何も考えずに一日のイベントに反応する。これを「その場しのぎ」と言う。SJは一日の計画通りに物事が進まないと、感情的に取り乱す。SPは計画を立てすぎて即興の自由がなくなると、感情的に取り乱す。自由がなければ、創造的になることもできない。
SJはSPと共にいることでバランスを取る必要がある。守護者は職人と共にいることが関係の点から互換性がある。NTとNFは別である。知識人は知識人と、理想主義者は理想主義者といる方が望ましい。
これは感覚的な領域における相性が相互に補完されるためである。タイプの相性については色々な要素が絡み合うが、感覚の点ではSJはSPと相互に求めるものが一致する。これはSJが感覚を受け取りたいのに対して、SPが感覚を与えたいためである。詳しくはタイプの関係に関するシリーズで説明するが、全てのタイプがどのタイプとでも友情や恋愛、仕事で理想的な関係を築けるわけではない。
これを理論化したのがロシアの類型論であるソシオニクスである。ここでSPの人々に「理論」の話をして申し訳ないが、ソシオニクスは「人は誰とでも相性が良いわけではない」ことを理論化した類型論である。ただし、そこで語られている相性論は間違っている。間違っているが、少なくともソシオニクスは「人は誰とでも仲良くできる」という戯言を標榜していない。MBTIは「どのタイプとでも上手くいく」と喧伝しているが、これは真実ではない。
SPタイプは何かを構築するか、ある種のメディア作成を行う。それはアートの作成だったり、構造物の破壊と再構築だったり、究極の体験を創造することだったりする。究極の体験を創造して人々に披露することが、彼らの全てである。SPたちにとって芸術とは彼らそのものであり、真実を伝える手段である。彼らは他人が自分をどう思うか、あるいは他人がどう感じているか不安になってしまうので、その不安を芸術で昇華する。本当に人の心を動かすのは、美しさではなく痛みである。SPたちの芸術は、彼らの痛みから生み出される。
SJの女性たちは、SPの男性たちを男性のあるべき姿の標準として考えている。このような偏見は何世代にもわたって存在している。知識人や理想主義者たちはSPよりも機械的認識に劣るため、男らしくないと非難される。ハンマーで釘を打つことができない男性は、男性ではない。社会、あるいは家族の中でもこのような気質に対するバイアスが存在する。
例えば、ENFJの父親が潜在意識ISTPになりたいとする。そうすると、彼は息子を通して代理的に生きようとする。彼は息子をISTPのようにしようとするのである。息子がSiユーザーで、機械いじりに全く興味がなかったとしても、彼はそうあることを望む。そして、息子に不満を抱いたり、それほど誇りに思わなくなったりする。父親は子供を通して、代理的に生きている。彼は潜在意識になりたいと願い、その潜在意識を成長させようとしている。もし子供たちにこれができれば、彼は達成感を得る。聖書には「人間の罪は三代、四代にまで及ぶ」とある。子供たちから自身の影を取り除き、負の遺産を残さないことが、彼らに与えられる最高のギフトであろう。
SPの潜在意識は理想主義者か知識人である。STPは人間性を重視したNFになろうとし、SFPは知的なNTになろうとする。これは互換性にも反映されている。つまり、STJはSTPを好み、SFJはSFPを好む。これは本質的に彼らがより知的になろうとしているのか、人道主義的になろうとしているのかの違いである。
SPの特徴は忘れっぽいことである。SPは今この瞬間に生きており、新しいデータが入って来ると、古いデータは自動的に消去される。彼らは鳥頭なので、時間が経つと自分が怒っていたことさえ忘れてしまう。ISTPはTiヒーローに誇りを持っているので否定するかもしれないが、ISTPも鳥頭である。彼らが怒った瞬間に素早く逃走することに成功すれば、次に会った時にSPたちの怒りは消えてなくなっている。つまり、SPたちよりも長生きすれば、直接的にやり合うことなく、最終的に勝利することができる。
SJタイプは長寿で、90歳以上の長命になることも珍しくない。彼らは誰よりも長生きすることで、SPたちの身体的虐待の被害から逃れることができる。「私を虐げた男は死んで、私は生きている」というわけである。一方、SJたちは感情的虐待を行う。このように、人々の違いを理解することが重要である。タイプへの理解が深まったところで、今回は終了する。
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