今回はメンターとして知られるENFJの美徳と悪徳について紹介する。直接・開始・制御型であり、理想主義者でもある。ENFJの美徳と悪徳は興味深い。ENTJの強欲と利他主義同様に、これは非常に二極化している。
ENFJの美徳と悪徳は、慈悲と残酷である。ENFJは全てのタイプの中で最も慈悲深いし、最も残酷でもある。彼らは他人の気持ちについて考え、気前よく与えようとする。FeヒーローとSeチャイルドは、人々に良い経験を与えたいと思っている。ENFJに助けを求めれば、電話一本で駆けつけて、あなたの人生を良くするために最善を尽くしてくれるだろう。彼らはそれを非常に真剣に受け止めており、責任者としてそれを実行する。
ENFJは慈悲深いが、最も慈善活動に熱心なタイプではない。しかし頼まれれば、それを引き受けて、慈善活動を支援することはできる。彼らにとって、誰かを助けるのは当たり前のことである。ただし、ここにはENTJと同じトラップがある。ENFJが自ら援助を申し出るのではなく、助けを求められた場合、後々面倒なことになるかもしれない。
彼らは非常に残酷な挙動に出る可能性がある。ENFJは他の人々に良い経験を与え、贈り物をするのが大好きである。ただし、これは無償の好意ではない。もしプレゼントを受け取った人がENFJに忠実ではなく、不誠実であれば、彼らは大いに腹を立てて、この上なく残酷になるだろう。ENFJは全てのタイプの中で最も残酷になるポテンシャルを持っている。
ENFJはTPの人間性を非難することが多い。真実だけを話そうとすると、誰かが傷つくことになる。だからENFJは真実を聞くと、否定的に感情的な反応を示す。ENFJが激怒すると、彼らの慈悲深さはどこかに消え去り、超残酷モードに切り替わる。彼らは今まで会った人の中で最も残酷な人物、最も無礼な人物になる。ENFJは瞬間的に激怒し、我を忘れて、どんなことでも言うだろう。
INFJもこれを言うことがあるが、ENFJほど残酷ではない。場合によっては、Seチャイルドが暴力行為に走るかもしれない。ENFJのように良い人がそんなことをする筈がない?それはENFJを買いかぶり過ぎである。彼らは良い人なのではなく、良い人として振る舞っているだけである。ここには大きな違いがある。ENFJにも悪徳がある。彼らは残酷なジョークが好きである。時にはそれが真実であることもあり、被弾した人間は切り裂かれる。ENFJとしては、彼らを成長させるためにやっているのである。彼らはどんな時でも自分が悪者にならない口実を見つけ出す。ISTPは潜在意識ENFJを持っているため、同様のことを行う。彼らは必要な時以外、誰かを持ち上げたりしない。
ISTPは冷酷なヒットマンのイメージがあるが、実際のところ、ENFJほど残酷ではない。Feヒーローは攻撃すべき弱点を知っている。これがENFJの残酷さである。彼らはこれまで出会った中で最も残酷な人間に豹変する可能性がある。したがって、ENFJが慈悲深くあり続けられるように、気を付けなければならない。特にENFJと親密な関係にあったり、家族内にいる場合は注意を要する。常にENFJの話に耳を傾け、興味を持っているふりをしないと、彼らはすぐさま残酷モードに突入する。
もし劣等Tiの意見に耳を傾けなければ、残酷なデーモンのお出ましである。超自我ESTJは何度でも鞭を打つ。そこに慈悲の心はない。これを避けるためには、ENFJの貢献に感謝と認識を示し、やりたいことを何でもやらせる自由を与え、主導権を握らせてやる必要がある。これを行うことは非常に重要である。彼らが激怒すると、Seチャイルドの怒りがTeデーモンと連動して活性化し、「悪魔の子」が降臨することがある。すると全く予期せぬところで、痛烈な攻撃を受けることになる。これは私的な場でも公的な場でも同様である。やられた方が評判を破壊されるだけではなく、ENFJも周囲からの尊敬を失うことになる。彼らは怒りに我を忘れてやり過ぎる。したがって、お互いに慎重になるべきである。
残酷さの悪徳は、常に悪いこととは言えない。人々の悪徳は明らかに悪いこともあるが、良いことである場合もある。誰かが教訓を学ぶために、残酷さが必要な時もある。この残酷さで衝撃や畏怖を与えられると、プライドが破壊され、真摯に学ぶことになる。誰かが正しく考えたり、道徳的に行動したり、より良い決断を下したり、責任感を持つために、ENFJの残酷さが役に立つかもしれない。
責任感をもってこの悪徳を利用すれば、誰かを助けられるだろう。しかし殆どの場合、彼らはやり過ぎる。ENFJの残酷さは極めて懲罰的で横暴である。同様に、人々を助け、癒し、立ち上がらせる慈悲の心から横柄になることがある。したがって、バランスを保つことが重要である。美徳と悪徳のバランスを保ち、ENFJの話に耳を傾け、自由を与えれば、全て上手くいくだろう。彼らが激怒し、残酷なことを口走っても、長期的には本気ではない。というのも、それは彼らの自我が言っているわけではなく、悪魔の子が言っていることだからである。だから言われたことを真に受ける必要はない。ENFJをはじめ、NJたちは結論に飛びつく習性がある。彼らは他の人々がやっていることに結論を下し、変化や弁護の機会を与えずに、相手を非難するという問題を抱えている。
誰かが間違いを犯した現場を目撃すると、NJたちの時間はその瞬間に凍結する。相手が完全に更生している姿を観察できるまでは、ずっとその評価のままである。問題はNJたちの中で既にその人物に対する決定が下されており、更生した姿を観察する機会がないことにある。ENFJの場合は悪徳が残酷さに繋がるため、さらに悪いことになる。人々が変わったことを、誰かがENFJたちに認識させなければならない。人間には変わる余地がある。そのうち良い人間になるかもしれないことを認識しないと、彼らは人々と関係を持つ機会を失い、閉鎖的になっていく。INFJにも同じ傾向があるが、ENFJほど酷くはない。NJ全般にこの問題があるものの、NTJは許すことができる。実はNTJの方がNFJより寛容である。
これがENFJの美徳と悪徳である。彼らは非常に慈悲深いが、気を付けないと残酷な言葉で心に傷を負わせてくる。彼らはそれを悪いと思っていない。悪人に対する当然の報いである。しかし、常に自分が善で相手が悪という固定観念を捨て、自らの残酷さを意識してみることも必要であろう。
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