前回は内向的感情について解説したが、今回は外向的感情、アルファベット表記ではFeを取り上げる。外向的感情はTeやFiと同様に判断機能である。TeがFiとペアになるように、Feは常にTiとペアになる。「感情」と言うと、いかにも思いやりがあって人の気持ちがわかるような印象を受ける。真実は、FiもFeも人の気持ちなどわかっておらず、「わかったつもりになっているだけ」、または「わかったふりをしているだけ」なのだが、お互いにこの設定を独占することは難しいと思ったのか、「Fiはシンパシー、Feはエンパシー」という停戦協定が作られて、何となくそういうことになっている。
Fiが「道徳」であるのに対して、Feは「倫理」である。Fiが内向きの機能であるのに対して、Feは外向きの機能である。Feユーザーは自我の四つの機能に外向的感情を持つ。彼らは他人の気分を良くすることに存在意義を感じる人々である。ここで言う「他人」とは、主にFiユーザーを指す。彼らは自分が「思いやりのある人間」であるという自負心を抱いている。彼らが自己主張する場合、この「思いやり」を盾にすることが多い。特に誰かを批判する時の口実に良く使われる。何故か?そうすれば相対的に自分の方が思いやりがあるということにできるからである。この肩書を失うことは、Feユーザー、特にFJの死活問題に直結する。
例えば私の母はESFJだが、「家事を手伝え」と言いながら、私が家事をすると不機嫌になった。何をしてもあら探しをしないと気が済まないようだった。記憶にある限り、彼女は私が小学生の頃から不健全状態だったので、私は不健全なESFJには詳しい。トルストイは「幸福な家庭は似通っているが、不幸な家庭はそれぞれの流儀で不幸である」と言った。この言葉を借りれば不幸なタイプは皆、似通っている。私の祖母もESFJだが、やはり同じような言動だった。Feヒーローは、自分が他人の世話をする役目を奪われることに我慢ならないのである。私が家事をできてしまっては、彼女の存在意義は失われる。ではなぜ自分でやらずに敢えて私にやらせたのかと言うと、誰も彼女に感謝しなかったからである。
彼女のように、他人への貢献を認められないFJは多いだろう。FJが人の世話をして感謝される機会を得られないと、彼らは誰かを悪者に仕立て上げる。そして自分こそがこの悪に立ち向かう正義の戦士であると声高に宣言し、その善行によって他人に感謝されるに値する存在であることをアピールする。逆に言えば、周りに感謝されていさえすれば、そのコミュニティでどんな悪行が行われていようと、相手がどんな人間であろうと構わない。彼らは否定するだろう。しかし、これが真実である。悪名高き「同調圧力」とは、彼らにとって心地よい環境を守るための防衛手段なのである。この流れを食い止めるためには、Fiユーザーが羅針盤として機能しなければならない。
このようにFeユーザーにとって、他人からの感謝は重要である。しかし、彼ら自身が心から他人に感謝することはない。私?私が本当に感謝の念を抱いた人間は人生で二人だけである。Fiは彼らの無意識のスロットに入っており、この機能には多かれ少なかれ問題を抱えている。どのような問題であるかはタイプによって異なるが、Feユーザー本人も薄々それに気づいている。INFJの言う「自分の気持ちがわからないの~」やENTPの言う「道徳がわからない俺」は、その発露である。ISTPやINTPに至っては、言語化できるレベルにすら達していない。だからFeユーザー同士が集まると、お互いに相手の気分を良くしようとするが、誰もそれに感謝していないというお寒い状況になる。そこには「真実の美しさ」が無い。
もっと言うなら、彼らは自分よりも人に感謝される人間が嫌いなのである。勿論そうと口に出すことはない。特にFJはデフォルトで自分の人間性を高く評価しているので、絶対に認めることはないだろう。感謝されるのは自分でなければならない。彼らを利用したかったら、この心理を心得ておくことである。しかし「利用されている」ことに気づいた時のFeユーザーの逆襲には気を付けなければならない。
彼らを語るもう一つのキーワードは「罪悪感」である。周囲の人々の気分が悪いと、彼らは罪悪感を覚える。相手がFiユーザーなら気分を良くしてやればいいが、Feユーザーだった場合、その努力が本当の意味で報われることはない。Feユーザーは相手の努力に自分が感謝できない罪悪感に苛まれる。罪悪感のループである。これをFeループ(笑)と言う。Teユーザーにとって、Feユーザーの「罪悪感」にあたるものは「屈辱」である。テストに出るから覚えておくといい。
何事もバランスが重要であるとはよく言われることだが、何かの集まりにはFeユーザーとFiユーザーが適切に配置されていることに、気を配らなければならない。私の家族のようにTiFeユーザーが偏っていると、お互いに感謝を期待しながらも思うような反応が得られず、罪悪感を増長し合うことになる。多くのFeユーザーの中にFiユーザーが投げ込まれると、それはそれで困ったことになる。「感謝する」と言うと簡単そうに聞こえるが、感謝する方も気を遣うしエネルギーを消耗するのである。Feユーザーに寄ってたかって世話を焼かれるFiユーザーの身にもなるべきだろう。動物園の動物は飼育環境に恵まれているにも関わらず、野生動物より寿命が短い。実際、私が飼っていた犬の中で最も長命だったのは、可愛げのない性格であまり構われなかった。つまり、多くのFJが集うコミュニティにFiユーザーが一人しかいない場合、そのFiユーザーは心身に異常をきたす可能性が高い。
逆に、多くのTeFiユーザーの中に、Feユーザーが一人しかいない場合はどうなるか。Teユーザーは数字や確率、権威に基づいて相手を賢くしようとする人々である。これを論理的だと勘違いしているTeユーザーは多い。お互いに教え合おうとするが、実際は何が正しいか判断することができない人々なので、彼らの話にFeユーザーは困惑することになる。しかし間違いを正すと相手の気分が悪くなってしまうので、彼らの内心には葛藤が渦巻くはずである。
このような状況に対処するには「自分ではないタイプの振り」をするしかない。相手がFeユーザーなら「感謝している振り」、相手がTeユーザーなら彼らが開陳する知識を「知らなかった振り」をするのである。たとえ本当は「有難迷惑」であり、「もう知っていること」であったとしても、教えてもらって心から感謝している振りをするのである。こうして自分ではない者として振る舞っているうちに、自分が何者か分からなくなっていく。だから私個人としては、この方法を推奨しないが、処世術としては賢いと言えるだろう。殆どの人間はこの道を選ぶはずである。そして死ぬ間際になって、「何者にもなれなかった」「もっと自分を大切にすれば良かった」と嘆くことになる。
今回はFeユーザーについて解説した。彼らと接する上で重要なキーワードは「感謝」と「罪悪感」である。彼らに罪悪感を感じさせてはならない。そしてFeユーザーたちは、彼らを正しい道に導く羅針盤を見つけなければならない。感謝に飢えたFeユーザーは闇雲に自己犠牲するか、自分に感謝を返さない他人を逆恨みして周囲に害を及ぼすようになる。迷える子羊たちを導く役目を担うのはFiユーザーである。次回はFeとペアになるTiがどのように機能するか紹介する。
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