今回は外向的感覚と対になる知覚機能、内向的直観について取り上げる。アルファベットにするとNi、別名「電波」である。私は以前とあるNiユーザーから「他の人たちが語るNiはオカルトや超能力としか思えない。自分はそんな経験をしたことはないので、Niではないかもしれない」という相談を受けたことがある。Niユーザー同士でも電波を巡って見解の相違があるらしい。
他の心理機能と同様、Niユーザーは16タイプのうち8タイプを占める。INTJ、INFJ、ENTJ、ENFJ、ISTP、ISFP、ESTP、そしてESFPがNiユーザーである。内向的直観は外向的感覚と組み合わさって機能する。これがどういう効果をもたらすかと言うと、彼らはSeによって外部から情報収集を行い「あなたがやっていることを私もやりたい」「あなたがやっていることを気に入ったから、私もそれをやる」といった具合に、自分が望むものを知るのである。これは心理機能がどのように働くかだけではなく、人々の会話にも表れる。
Niとは何か?これには色々な描写がされる。「雷に打たれたような感覚」と書かれることもある。しかし「私にそんな感覚はない」と証言しているNiユーザーもいる。Niとは「願望」あるいは「意志」である。自分が望むものは何か、自分が目標としているものは何で、進むべき道は何か、進んだ先にどうなるか予測する。彼らは自分の将来を知っている。
内向的感覚にも「欲しい」「したい」という感覚はある。しかし、これはNiとは異なり、「経験したいこと」に近い。Niは将来的にやりたいことだが、Siは過去に経験したことに基づいている。彼らはSeユーザーに経験を与えて欲しいと思っているが、Niは自分が何を望んでいるか知り、将来に向かってどのような道筋を歩むべきかを知りたい。
インタラクション・スタイルのフィニッシャーに属する4タイプ中3タイプがNiユーザーである。別名をチャート・ザ・コースと言う。彼らは物事の道筋を最初から最後まで見通してから行動に着手する。だから選んだ道を進み始めてから別の道筋に逸れていくようなことはない。動いていればどこかに辿り着くという意味では行動志向である。
内向的直観はスナイパーライフルのようなもので、外向的直観はショットガンである。Niユーザーは自分が望むものに一点集中して、他のものは目に入らない。Neは進むべき全ての道を把握しようとするが、Niは最善の道を見つけて成果を最大に高めようとする。一度に全ての方向に進もうとするのではなく、選択肢を絞り込む。例えばNiペアレントであるENFJやENTJは、自分の望むものや目標に対して非常に責任感がある。彼らは最善の道を探すことに時間を費やして、バスに乗り遅れるようなことはない。
私の話を聞いて「Niユーザーになりたい!」と思っただろう。しかし、劣等NiであるESTPやESFPとして生まれてしまったら、自分が望むものに強い不安を感じることになる。彼らは他の人々が何をしているか観察するが、この不安に囚われると行動を起こすことができなくなる。例えば、引きこもってゲームばかりしている青年はINTPに見えるが、実際はESxPであることも多い。彼らは無限に情報を集め続けることで、自分が何をしたいかわからなくなってしまう。そして決断を下すことを恐れて、引きこもるのである。
彼らに安心感を与えるのはESTJやESFJの仕事である。彼らは他の人々が望むものを与えたいと思っており、劣等NiのESxPたちに選択肢を提示する。「ハローワークに行って他の人たちがどうしてるか聞いてきたら?」といった調子である。望めば他の案も考えてくれるだろう。その選択肢の中から選べばいいと思えば気が楽になる。彼らに急き立てられているうちに、ESxPたちは何か決断しなくてはならない気がしてくる。
ここでタイプの関係と相性について述べておかなければならない。ソシオニクスではENTPとISFJが双対関係である。つまり、「真逆」のタイプ同士が最も相性がいい。INTPとESFJ、INFPとESTJにも同様の関係が成立する。しかし、これは大いなる間違いである。そんなことはどこの世界線でも起こらない、と言いたいところだが、かつて日本の界隈で起こった。これから私が正しいタイプの関係を披露するので、楽しみに待っているといい。
内向的直観の話に戻ると、Niは自分が何を望んでいるか、自分の欲望を知覚するための機能である。この機能が下位にあるほど、義務意識が薄れる。内向的直観は欲望の炎に身を焦がし、内向的感覚は大地として人々を支える。そしてNeは水である。Niは特定の標的を焼き尽くし、Neは全てを包み込もうとする。火は可燃物がなければ燃焼しないが、水は蛇口をひねれば出てくる。
NiはSeとペアであるため、Niユーザーたちは自由を必要とする。SeがヒーローやペアレントにあるSPは当然のことながら、NJもそうなのである。ただし、NJの場合はSeがチャイルドや劣等機能にあるので、反応に多少の時間を要する。彼らは自由が妨げられることに耐えられない。Niユーザーには言いたいことを言い、探求したいことを探求する選択肢を常に与えなければならない。こう書くと我儘なように感じるが、「今」というのは質量(存在)=自分が基準となった自己中心的なものである。
だから、もしもSeユーザーの子供がいるとしたら、その子供には選択する自由を与えなければならない。ベッドに入る時間になったら、今寝るか、十分後に寝るか選ばせるのである。どちらにしても寝ることに違いはないが、「自分で選んだ」と思わせることが重要である。Siユーザーの子供は、それが義務であれば受け入れる。毎日決まった時間に寝ることが、子供としての義務であれば仕方がない。Seユーザーの子供は義務を嫌う。
子供たちは異なる心理機能を持っている。彼らをタイピングする方法は次のシリーズで説明するが、気質とインタラクション・スタイルを使うことで、人々のタイプを特定することができる。そして子供のタイプを知り、心理機能を理解することで、子供が自分や他の家族と相性の良いタイプかどうか、どのように子育てを行えばいいのか適切な決定を下すことができる。自分が育てられたように子育てを行うのはナンセンスである。気づかぬ間に子供は心理的ダメージを受け、それを自分の子育てにも反映する。これを負の連鎖と言う。複数の子供がいる場合、片方はNiユーザーで、もう片方はNeユーザーであるかもしれない。子供たちの心理機能に合わせた対応を取ることが重要である。
内向的直観は自分の欲望、目標、将来に何を望んでおり、そのために何をするか知覚する。しかし、彼らの「今」は他の人々と共有できないものかもしれない。心とは相対的なものである。それぞれの「今」があることを踏まえた上で、コミュニケーションを取る必要があるだろう。
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