今回のタイププロファイルはアーティストとして知られるISFPである。ISFPは舞台裏で活躍する職人であり、会話に応答して制御しながら情報提供を行う。彼らは自由を重視するクリエイターである。

彼らは常に、自分がやりたいことを何でもできるという選択肢を持っている必要がある。それができないと彼らは激怒し、本当に嫌な気分になる。Fiヒーローは気に入らないことがあると引っ込んでしまい、口も利かない。ISTPに比べて、ISFPは真実への反応が遅いが、それは彼らが実際に決断を下す前に、自分の気持ちを吟味しているからである。ISFPは行動重視ではなく、自分がいる環境をコントロールすることを好む。

彼らはSeペアレントを用いて、機械的才能を開花させる。ISFPは「機械いじりの才能なんてない」と言うかもしれないが、これはあらゆる機械を熟知しているという意味ではない。ISTPは一種の何でも屋のようなもので、取り立てて何かを得意としているわけではないが、集中すると達人になれる。ISFPは何でもやるのではなく、一度にひとつの分野を習得する。何を好み、どの程度習得できるかは彼らの気分やNiチャイルド次第である。

FiやNiのおかげで、彼らは自分のやりたいこと、好きなことに集中できる。そのプロセスを劣等Teでフォローして、創造のプロセスを行うことができる。彼らはISTPのように何かを改善したり、問題を解決することに関心はなく、何かをゼロから生み出すことに興味がある。まさにアーティストであり、芸術を創造したいのである。ISFPが習得するのは機械ではなく、楽器や料理の場合もある。ISTPは問題を修正したり解決するが、ISFPは人々に良い経験を提供して、それを評価してもらいたい。そして自分自身や自分の作品がステータスを得ることを望んでいる。

Fiヒーローは自分がどう感じるかが全てである。それは彼らの道徳的羅針盤であり、ISFPは自分がどう感じるか知っているが、通常はそれを共有しようとしない。ISFPは他人の意見が気まぐれに変わることを知っており、共有した結果、自分が悪く思われることに不安を抱いている。代わりに究極のエクスペリエンスを提供し、それによって忠誠心を獲得しようとする。彼らは自分の評判を非常に真剣に考えており、作品をブランド化して忠誠心を得たいと思っている。

ISFPは作品を作る過程で、何度もやり直しをする。彼らはアーティストであり、他の人々に与える経験に責任を持っている。逆に、経験を受け取ると、それをSiクリティックで批判する。ISFPは他人の作品や物理的環境を批評するのが得意であり、それについて自分がどう感じているか認識している。しかし、物忘れが激しいので、過去のことは覚えていない。彼らが良い気分になったこと、あるいは悪い気分になったことは思い出すが、それ以外の情報は消去される。

Niチャイルドは自分が何を望んでおり、どの道を進むのが最善であるか決定する。その意志の力を源として、最高傑作を作り上げ、ステータスを手に入れたい。しかし劣等Teは自分が評価されないことを恐れているので、過剰に報酬を払ったり、進行しているプロジェクトを中止することがある。ISFPは他人がどう感じているかも心配している。彼らは自分たちが最も道徳的な人間であると思っており、自分の気持ちを英雄的に表明する。他の人々は自分ほど道徳的ではない。

だから彼らは自分の好きな人間が悪人であることを心配し、他の人々に否定的な感情を引き起こさないように、道徳的であろうとする。Fiヒーローは非常に同情的であり、正しい大義に従いたいと思う。彼らは真実に関心が無い。彼らが気にしているのは、自分が真実についてどう感じるかであって、それで気分が良くなるならば、虚偽であっても構わない。

実際にそうでなくても、集団が真実だと思っていれば、ISFPは同意する。皆がそうだと言うなら、それは良いことであり、ISFPの気分は良くなる。ISFPは集団に流されやすいので、彼らを守護するためにSFJがいると心強い。SFJのTiは集団の意見に敏感であり、ISFPが間違った決定を下さないように守ることができる。このため、ISFPは舞台裏で作業し、孤独を好む。集団から離れていれば、そのようなプレッシャーを感じなくて済むためである。私の妹はISFPだが、彼女は漫画・画集・神話全集などを大量に所持しており、他人が存在しない現実を自分の中に確保している。

Siクリティックの物忘れについては既に話したが、彼らには巨大なRAMと小さなハードドライブがある。新しいデータが入ってくると古いデータは消去されるが、Teによって思い出すことがある。実際は思い出しているわけではなく、外向的思考のプロセスによって、存在していなかった記憶に辿り着いているだけである。もしISFPに物忘れリストを突き付ければ、彼らは激怒するだろう。しかし、必要ならばやらねばならない。ISFPのNeトリックスターは興味深いものである。ISTPは形而上的認識に欠けており、他人の集合的無意識にアクセスできないが、ISFPは形而上学を追求したいと思っている。

彼らは幻覚剤を使用したり、自由恋愛運動に加わったりする。ところが、人生が後半になるに従って、彼らは外向的感覚に習熟し、他の領域にも目を向けるようになる。そして彼らは哲学や形而上学、オカルトや神秘思想、アストラル投射、エックハルト・トール、アーカーシャ・フィールドなどに興味を持ち始める。ISFPはどんなおかしなことでも探求し、時には予感が閃いたと主張することさえある。ISTPもその傾向があるが、ISFPは更にそうである。

問題は、彼らは他人の意図に気づいていないので、何かを売りつけようとするENTPや、宗教に勧誘しようとするENFPの操作によって、経済的意思決定を誤る可能性がある。文字通り、屠殺を待つ子羊のようなものである。だからこそ、SFJに守ってもらう必要がある。ISFPが創り上げた芸術を、ENxPが台無しにするかもしれない。ISFPは自分の世界に居て、思考操作や感情操作に対する耐性がない。Teを思考操作に使用できるのと同様に、Feも感情操作に利用できる。したがって、SFPを守るのはSFJの義務である。SFJに良い経験を与えていれば、彼らはISFPに忠実であり続けるだろう。

ISFPは批判に非常に敏感であり、批判し過ぎるとTiデーモンが「それなら真実を話しましょう」と首をもたげる。超自我INTPは、あなたの人生を終わらせる方法を画策したり、危害を加えたり、落とし穴に突き落とす作戦を考案したりする。無意識ESFJは甲斐甲斐しく人々をサポートするが、彼らが与えた経験やサポート、道徳的指針などが誰にも評価されないことは往々にしてある。彼らはただの便利なお人よしだとしか思われていない。超自我INTPはそのような愚かな人々の首を切り落とす。これはいつ起こるかわからない。全ては舞台裏でひっそりと進行し、攻撃は突如として飛来する。通常のISFPは、激怒するとSeで殴り合いや支配を厭わない。時間が経つと忘れてしまうので、今すぐに激怒して問題に対処する必要がある。しかし超自我INTPになると、攻撃する最高の瞬間を待ち構え、絶妙なタイミングで敵の未来を破壊する。

だからISFPが常に気分良くいられるように、気を配ってやらなければならない。彼らをいかに高く評価しているか伝え、素晴らしい経験をさせてくれたことを褒め、やりたいようにやらせる自由を与えることである。彼ら自身についてどう思うか批判することは禁止する。色々なことを覚えた方がいいとか、自分の世話をしろと批判するのはいい。FiヒーローとSeペアレントのおかげで、彼らは自分自身の世話をすることができるし、服装も派手で社交的に見えることもあるが、実際は内向的で裏方にいたいと思っている。

ISFPはそれをする気分でないとか、作品作りに忙しいなどの理由で、身づくろいを怠ることがある。だから定期的に物理的なケアをするように思い出させなければならない。そして他の人々の悪意から守り、芸術に集中できるようにする。彼らに自分の作品をどう思うか訊ねてはならない。芸術家はそんなことを自分で考えたくないので、自分の作品が素晴らしい理由を他の人々に考えて欲しい。作者の意識が創造の過程と同一などと、誰が決めたのだろう。彼らにはどう感じるかを聞くべきである。ISFPがあなたの考えを知れば、それを境界線として新たな作品を作ることができる。そして作品がブランド化して有名になり、潜在意識ENTJとして会社を経営することが彼らの夢であろう。

最後に付け加えておくと、私はSiチャイルドとしてアートを鑑賞することを好む。それは文学でも、絵画でも、写真でもいい。ISFPたち自身は決して面白みのある人々ではないが、芸術の創造主として才能を発揮していって欲しい。ユングが言うように、個人的な特性に着目する視点は、芸術作品に対して全く妥当性を欠いたものである。ISFPという存在の狭さと袋小路を脱け出し、現実の無常と息苦しさを超越する作品を生み出せることを祈っている。