NFPが何でも許されるのは、一般的に彼らが好感の持てる特性を持っているからである。これは万人受けの話であって、強烈に好かれるような個性の話ではない。
第一に、彼らは動機型かつFeネメシスとFeクリティックを持っている。つまり、Feユーザーではない。Feユーザーはデフォルトで自尊心の問題を抱えているので、あまり魅力的ではない。好感が持てないわけではないが、NFPはそれをデフォルトで備えている。
Feユーザーは誰にでも好かれようとして、卑屈なメンタルになりがちである。そして役に立つ、親切、優しいなどの評価を得るが、別に好かれているわけではなかったりする。Feユーザーは自尊心に問題があり、自己卑下することで褒め言葉を引き出そうとする習性がある。「自信がない」と言う人間の真意は、「私をもっと評価しろ」である。しかし、ロバート・グリーン曰く「自信のなさは人を不快にさせる」ので、彼らの狙いは裏目に出ることになる。少なくとも私は、そのような人間に興味はない。
多くのマーケティングの本がNFPを参考にして、自虐しないように書かれているのには理由がある。Feユーザーには非常に難しいが、これはあなたがより好かれたり自己確立する上で、効果があるだろう。NFPはFeネメシスやFeクリティックで、ある程度は相手の気分を良くすることもできる。
NFPはTeユーザーなので、他人の信念を把握している。彼らは他人が何を考えているか知っており、それに影響を与えることができる。NFPは人々が得る情報を恣意的に変更することで、人の信念を形成する。Teはインプットであり、判断プロセスの起点である。TeのインプットをTiが処理して、何が真実で何が偽りか判断する。Feがそれをアウトプットして、Fiがそれに対してどんな気分かフィードバックする。
Teユーザーはプロセスの開始を請け負い、その後の処理の基盤となって、残りのステップに影響を与えている。これが哲学者、特にNFPがジャーナリズムに非常に優れている点である。そして様々な物語に影響を与える。物語とは、出来事を口頭または文章で説明することである。単なる情報の羅列ではなく、ストーリーがなければならない。
「たかが物語」と馬鹿にしてはならない。プラトンも物語の力を危惧して、「詩人を追放せよ」と論じている。世界中の部族のストーリーテラーは高い社会的地位を享受しているし、「フォーブス」誌で最も高い報酬を得ているのも物語の作り手である(ただし、これは故人を対象とした調査)。人間には物語の登場人物と本物のような繋がりを作る性向があり、ゲイや黒人に好意的なドラマを見ると、視聴者の偏見が低下する。ダイバーシティ教育には、これほどの効果はない。
例えば、職場で2人が口論しており、片方はNFPである。NFPはストーリーを作り、それをどのように展開したいか決めるために、Siで強い言葉を選択する感覚を持っている。「私は彼と口論になった」ではなく、「彼が私に怒鳴り始めた」と言う風に表現する。物語にはディテールが重要だが、Siユーザー、特にNFPはそれが得意である。
このようにして、彼らは他人の評判を操作して、自分のステータスを高めたり、他人を貶めたりする。自分を正当化したり、権力を強めるためには有効な手段である。彼らにはその能力がある。また、NFPは細かい文字を解釈して、それを有利に利用する傾向がある。NFPは「私は悪い人間ではない」と憤慨するだろうが、それを悪いことだと感じるのは、あなたに後ろ暗いことがあるからである。
これはFeユーザーが清廉潔白だという意味ではない。Feユーザーは「私があなたを助けたら、あなたも私を助ける」と言う秘密契約を結んだり、自分の好みを社会正義に偽装する傾向がある。全ての機能はツールであり、結果や目的地ではない。つまり、NFPが野心を持ったり、細かい文字を有利に活用したり、評判を操作すること自体は否定しないが、それらのツールを良いことに使用することを勧めたい。
NFPは自分がやっていることを良いことに見せかけるのが上手いので、人生で何でも上手くやり過ごすことができる。NFPのような善人が、悪行に手を染めるはずがないと信じさせるのである。彼らは自分のニーズに合うように、ストーリーを作り上げることができる。その気になれば、他人の認知ニーズに基づいて、世界を他人の目から引き離すことさえできるだろう。
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