このブログにENTPが増えることはあまり好ましくないが、「1匹見つけたら10匹はいると思え」のセオリー通り、定期的に書き込みがある。一様に厨二おしゃれネームを好む点は共通しており、彼らの理想と現実のギャップの深さが窺える。

そのENTPには独自の道徳原則がない。そのため他のタイプから批判されることがあるが、それはFiトリックスターのせいである。SiトリックスターのせいでENJが忘れっぽいのと同様に、ENTPは道徳心が欠けている。そのためENTPの一般的なイメージは詐欺師、変人である。これは悲しく、辛いことである。

特にFJはENTPの人間性を厳しく批判する。FJにとってはENTPが無償で奉仕し、自分は何も返さないのが当然のことである。彼らはもっともっとと要求するが、お返しをしようとはしない。ENTPは悪人なので、一方的に奪うのが当然だからである。もしENTPが対価を求めたら、鬼の首でも取ったように責め立てるだろう。

ESTPもそうだが、Fiトリックスターはアイデンティティに苦しんでいる。彼らのFeチャイルドは肥大した承認欲求を持て余し、外界と同一化する。ENTPはNeヒーローなので、適応力が高い。水のような柔軟性で、どのような状況でも切り抜けることができる。この柔軟性により、ENTPは道徳的なカメレオンになる。これについてはLevel7を参照してもらいたい。

ENTPの美徳は真心であり、悪徳は不誠実である。ENTPはなぜ嘘つきになってしまうのか?彼らは常にマスクを被っている道徳的なカメレオンである。そのマスクはENTPと一体化する。INTJはあらゆる状況で機能するマスクを求めるが、ENTPは各状況で機能する多くのマスクを被っている。彼らは信念を持たないまま人生を送る。

ETPは成長過程でこの問題を抱えている。Feチャイルドには自分のアイデンティティがないので、他人から期待されるアイデンティティを採用する。彼らは実用主義なので何らかのテンプレートを取り入れるが、これは原則の欠如に帰着し、問題になる可能性がある。彼らは自分の原則ではなく、他人の原則に従う。そうしないと良い人だと思われないからである。これはFeチャイルドを虐待に晒す。しかし彼らに期待されているのは原則の矛盾を指摘することではなく、原則に服従することである。

ENTPは柔軟なので、他人の信念体系を押し付けられることになる。彼ら自身には道徳原則がなく、相手次第でコロコロ変わる。だから人々が好む信念体系を信じている振りをする。しかしそこに実体はなく、アイデンティティが欠けている。Fiトリックスターは可能な限り哲学の本を読む必要がある。そうすれば多くの原則を獲得し、時間をかけて自分の哲学を作成し、道徳的カメレオンにならなくてもよくなる。

何を採用したらいいか分からない場合は、五輪書でも読むといい。孤独を感じた時の人生における意思決定に役立つだろう。ETPは自然に他者から疎外されるため、一人でいるしかない。ESTPは他人の注目を妄想し、ENTPは他人の行動を妄想する。ペアレントとデーモンの組み合わせは、疎外感に繋がる。悪魔の親とはこのことである。これに関するシリーズも、いずれメンバーシップで発表する予定である。

Fiトリックスターがマスター機能になるまでは、ENTPは道徳的なカメレオンである。Fiが習熟すれば、相手が誰であろうと揺るがない信念を身につけることができる。ENTPが他人の原則を取り入れるのは、自分の身を守るためである。問題はFiが習熟するにつれて、ENTPは過激になり、疎外される可能性が高まることにある。特に公共の場で、自分の信念を他者と共有する勇気を持てば、人々はあなたを支持して、偽善者でないことを知ってくれるだろう。ENTPは中身がないが、今は違う。

ENTPは中身を見つけるために、自分の原則を探した方がいい。これに取り掛かるのは若ければ若いほどいいが、今からでも遅くはない。そうしないとENTPがどうなってしまうかは、このエピソードを聴いて欲しい。

ただし、その自分を嫌悪する必要はない。弱く醜く軟弱な自分がいるからこそ、原則の価値が理解できるのである。その傷跡があるからこそ、Fiの熟達に到達できる。そして人々に希望を与え、社会の犬であることを強いるシステムに立ち向かうのである。他人が自分の原則を採用することを期待するのではなく、自ら規範を示し、自分の原則が何であるかを決断する。

世の中のENTPの大半は道徳的カメレオンである。人々があなたを受け入れないなら、別の人を探せばいい。それが美しい世界というものである。そんな世界が存在しないなら、自分で作ってはどうだろうか。ENTPが道徳的カメレオンになるのは、自分の哲学を発展させていないからである。今すぐ哲学書を手に取り、五輪書やブルースリーノーツを読むといい。これがどれだけ重要かは、いくら強調しても足りないほどである。