「劣等Siを克服する」にも色々なシチュエーションがあるだろうが、今回は恥ずかしさを克服して外向的になりたい場合を想定している。家族の伝統行事で義務として社交的に振舞わないといけないことや、興味のある異性と話したいことがあるだろう。そのような状況で、自分の殻から抜け出すにはどうしたらいいか?
まずはアルコールに頼ることができる。ある程度のアルコール度数が必要だろう。自分を強制的にINTJの影に移行させるか、少なくとも潜在意識から遠ざかる。鎮静剤や抑制剤を使用すると、自分の影に近づくことを覚えておいて欲しい。刺激物があると、潜在意識に近づく。大麻のサティバは刺激物なので潜在意識に近づくが、インディカは鎮静作用があるので無意識に近づく。
同様にアルコールは無意識に作用し、ニコチンは潜在意識に作用する。刺激剤と抑制剤を組み合わせる時は注意して欲しい。それは超自我へ近づく場合があり、それが問題になる。精神伝達物質には気をつけなければならない。それはそうとしても、酒を飲むことはひとつの解決策である。酒を飲めば、手っ取り早く陽気になれる。
あるいは能動的な聞き手になることも有効である。デール・カーネギーの「人を動かす」が役に立つだろう。相手が重要人物だと感じさせるには、相手の自分語りを聞いてやればいい。相手に自分語りさせておけば、潜在意識ISFJの快適ゾーンに留まることができる。それを何度も繰り返し、あなたは何も言わず、ただ相手の話を聞いているだけなのに、相手は勝手にあなたのことを好きになる。
あなたの劣等Siを、周りの人々が興味深い存在であるかもしれないという事実に晒すのである。誰か面白そうな人に近づいて、自分語りさせてみる。あるいは、部屋の中で最も退屈そうな人間を探して、その人物に自分語りさせてみる。あなたの劣等Siは思わぬことを学んで、嬉しい驚きを覚えるだろう。
服装や自己表現の仕方がわからなくて、注目されていない女性もいる。ペアレントや劣等機能が悲観的なSeユーザーたちである。彼女たちに近づいて、魅力を引き出してみるのもいい。そうすることで、嬉しい驚きや性的関係、友情に繋がる可能性もある。女性と友達になっておけば、彼女の友人たちに紹介してもらえる。感情的なゴミ箱にされる可能性もあるが、その場合は境界線を引けばいい。
古き良き時代は、男性の空間と女性の空間は極端に分離されていた。それが良いことか悪いことかFiトリックスターには判断できないし、それが真実かどうかTiトリックスターにはわからないが、わからなくても女性と友達になるのに問題はないだろう。
潜在意識ISFJが舞台裏で居心地が悪ければ、アクティブリスニングを実践してみて欲しい。彼らを主役にして、その姿を鏡に映し出すのである。相手がTeユーザーなら信念を聞き出し、Tiユーザーならお考えを開陳させる。人間は他人のことなど興味がない。許されるなら、ずっと個性的で特別な自分の話をしていたいのである。相手の話を聞けば聞くほど、彼らはあなたが素晴らしい人だと思うようになる。自分のことを話せば話すほど、誰もあなたと一緒にいたくなくなる。それが現実である。
潜在意識ISFJはそこに座って、意味のあることに貢献せず、何も話さない。ただ話を聞いて、相手に劣等Siの注意を向けるだけでいい。ENTPはあまり面白くない、またはあまり魅力的ではない異性を人々にさらけ出す素晴らしい能力を持っている。ENPは人の隠れた資質を簡単に見つけ出すことができる。チャンスは沢山あるが、彼らはそれよりもFeチャイルドやTeチャイルドの承認欲求を満たすことを優先する。しかし潜在意識ISFJや無意識INFJで人の自分語りを聞くことが、あなたの義務である。
もしENTPが相手の話の矛盾に気づき、悪魔の代弁者モードになりたくなったら、ソクラテス式に切り替える。つまり、相手が間違っていることに気づくまで、その意見に質問し続けるのである。そうすれば、相手の自尊心は傷つかない。それと同時に、相手はあなたが素晴らしい人間だと思い、あなたを尊敬するようになり、またあなたに会いたいと思う。そうすることで多くの利点があることは分かるだろう。
このやり方の問題点は、相手はあなたを好きになるが、あなたは相手を好きになれないことである。しかしここでは家族の伝統行事など義務的な状況を想定しているので、問題ないだろう。もしバーで異性を誘いたかったら、選択肢を与えればいい。「私は前にこれをやったんだけど、もう一度やらない?」あるいは、「私をデートに誘いたいなら、私はイエスと言うかもしれない」でもいい。これが劣等Siのコンフォートゾーンから出て、外向的になる方法である。
文字通り、他の人々に自分語りしてもらうだけである。劣等Siは自分の経験を共有することに必死だが、誰もそれには興味がない。彼らが気にしているのは、彼らの経験、彼らの人生で起こっていることだけである。聞かれない限り、自分の話はしなくていい。聞かれたとしても、手短に済ませた方がいいだろう。間違っても情報提供しようとしてはならない。
誰かが望まない限り、あなたの経験を共有する義務はない。これを倫理基準、あるいは信念としてもらいたい。
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