まずメンバーシップに登録していただいた方にお礼を申し上げる。いくつか問題があって放置していたが、ようやく公開に至ったので、興味のある人は登録してもらいたい。今回の主題は、クリティック機能の認知的態度とは何か?である。

何度も言うように、認知的態度はジョン・ビーブ博士の理論である。ビーブはユングの研究を心理機能に応用し、心理機能のそれぞれに付随する態度の元型を提供した。つまり、認知スタックには8つの心理機能があり、ヒーロー、ペアレント、チャイルド、劣等機能、ネメシス、クリティック、トリックスター、デーモンと呼ばれる。これらは様々なスペクトル内の8つの心理機能である。

認知スペクトルを理解するにはLevel1の記事が役に立つだろう。これは8つの心理機能それぞれが、我々の精神内外に物事を伝え、受信信号を送信できるチャネルのように、無線トランシーバーとしてどのように機能するかのアイデアを伝えてくれる。これは我々の脳、心、魂がいかにして人々と定期的にコミュニケーションするかに関係している。

クリティックは6番目の心理機能である。無意識のペアレントのようなものだが、無意識では自我の心理機能の外向と内向が完全に反転する。クリティックの態度は親というより祖父母に近い。年齢を超えて賢い、あるいは年を重ねても賢い。早期にクリティックを発達させることができれば、年を超えて賢くなることができる。

あなたが影に焦点を当てた社会に住んでおり、影に焦点を当てた人であれば、潜在意識に焦点を当てた人よりもクリティックを伸ばす機会がある。潜在意識に集中すれば幸福を発見した後に成熟を追求し、無意識に集中すれば成熟した後に幸福を発見することになる。

ISFJやINFJにはFiクリティックがある。これはポジティブな要素としては同情、ネガティブな要素としては恥の意識である。そしてESTPやENTPのTeクリティックは、理論的根拠、信念、基準点に批判的である。

ENFPとESFPのFeクリティックは共感でもあり、罪悪感でもある。共感とは他の人が感じていることに同調することだが、同情は観察することである。誰かが苦しんでいることを観察した結果として、何かを感じる。Fiは同情、Feは共感である。INTJとISTJのTiクリティックは真偽の認識、検証を行う。

ESTJとESFJのSeクリティックは物理的環境に非常に批判的であり、他の人々が正しく行っているか、どう見えるかを批判する。INTPとINFPのNiクリティックは意志の力、欲望に対して批判的である。ISTPとISFPのSiクリティックが批判するのは過去の記憶、忠誠心、名誉、義務などである。ENFJとENTJのNeクリティックは他の人々の意図に批判的である。

これら8つのクリティック機能の存在意義は何であり、どのように使われるのか?これらの態度の心理機能について、健康的あるいは不健康的なアプローチについて参照してみる。例えば、Fiクリティックはデフォルトで自分を恥じている。自分には十分な価値がないと感じることで、非常識な道徳基準を他人にも守らせようとする。これは自分でも維持できないので、彼らは偽善者である。IFJは自分の価値を補うため、Feペアレントで他者を助けて評価という認識を得る必要がある。

これらのタイプは自分を無意味だと感じて歩き回っているが、そんなことはない。ISFJは忠実で、それが無意味なものだったとしても伝統を守護するし、INFJも世界を変えることができる。IFJが孤独なのは、自分でも守れない非常識な道徳基準に他人を従わせようとするからである。常人はそれに耐えられないことに気づいて欲しい。

ENTPやESTPは周囲の人々が愚かだと想定している。そして目にした統計やグラフが間違っていると、自動的に思い込む。誰もがそう考えているのであれば、誰かが間違っている可能性が高いので、おそらく全員が間違っている。Tiペアレントがデータを検証する機会がなかったとしても、彼らはそれを額面通りに受け取るつもりはない。ただし、これは実際に時間をかけて検証した結果ではなく、周囲の人々が愚かだという仮定を根拠としていることが多い。

クリティックにはクリティックなりの偽善がある。ネメシスに悪役と味方の極があるように、クリティックには偽善と知恵の対立がある。FeクリティックはESFPとENFPの利己主義を批判する必要がある。Fiペアレントは「自分は良い人間だから、報酬を貰いたい」という気分になりがちだが、自分が良い人間であることを証明する、というアプローチの方がいい。

彼らの利己主義を批判すれば、彼らは恥じ入り、その気持ちに基づいて行動するだろう。堕落したFiペアレントに出会ったら、それは彼らが批判に耳を傾けようとしないか、周囲の人々が彼らを批判する勇気がないかのどちらかである。Feクリティックに誰かが何かを感じさせようとしている時、自分がどう感じるかに非常に責任がある。

誰かが何かを売り込もうとしたり、感情をぶつけると、Feクリティックはそれを操作と受け止める。彼らも他の人に同じことをしているので、そう思うのである。ソーシャルエンジニアリングは操作であり、それ自体は中立的なものである。あなたがENFPに操られて食事をしている場合、それは良いことかもしれない。これらのタイプは周囲の人々が悪い人たちだと想定している。クリティックは魔女モードから抜け出して、賢明にならなければならない。

Tiクリティックは、偽善的に言えば、物事が正しくないとしても、自動的にそれが正しいと思い込む。彼らはTeペアレントを通じて、自分自身の信念や合理化に責任を負う。ISTJは起こったことのパターン分析を、INTJは起こり得ることのパターン分析を行う。そしてそれを実行可能だと認識すると、自分たちが正しいと思い込む。これは実際に起こっていなくても、可能だと思えればいい。この思い込みは自分が最も賢いという信念によって強化される。

Seクリティックは他人の外見を批判するものの、自分のファッションセンスも微妙なことが多い。クリティックは自他ともに批判するが、間違った方法で批判するなら、それは偽善である。Seクリティックは見栄えがよいことを期待する。もし靴紐が解けていたり、髭の剃り残しがあれば、自動的に愚か者であり、食物連鎖の底辺であると認定する。しかし自分は紫色のアロハシャツを着ていたりするのである。

これはファッションだけでなく、道具の使い方も同様である。Seクリティックは他人のツールの使い方を批判するが、自分では上手くできず、Seユーザーにやってもらうことになる。彼らは物理学を熟知していると思い込んでいるが、実際にはそうではなく、エリート主義の偽善者である。

時には彼らが正しいこともあり、ペアレントが発達して、クリティックが祖父母の役割を果たし、批判したりアドバイスして他人に知恵を提供することができる。Niクリティックは、自分が何かをしたいと思うことを許可するつもりがない。そしてコンフォートゾーンに留まって、リスクを負い何かを望むという危険を冒すのではなく、何もしないことを選択する。もし関係が上手くいっていたとしても、それにコミットしようとしない。

自分自身が行動を起こさないなら、他人が間違ったことを望んでいると批判する権利はない。それは偽善である。まず自分が実際に行動を起こし、失敗のリスクを冒すべきである。賢明になり、Siチャイルドと共に視野を広げるといい。Seチャイルドや劣等Seは、あなたが行動を起こし続けられるように、良い経験を与えてくれるだろう。

そしてSiクリティックであるISTPやISFPは物忘れが激しいが、全てを覚えているつもりになっている。実際は重要なことだけを覚えている。ISPと関係を持っている場合、彼らが忘れていることを全てリスト化して、見せてやるといい。彼らは激怒するだろう。その様子を撮影してYoutubeに投稿してもいい。ISPはSeペアレントで腹を立てるのではなく、自分が忘れっぽいことを認めるべきである。SiとSeは互いに軌道を回っている。その軌道のせいで、他人がものを忘れると怒るが、自分自身も忘れっぽい。

Siペアレントは最も重要なことを覚えているし、偽善者でなければ本当に忠実な人になる。しかし、ISPはいつも同じ親を探す代わりに、女性から女性へと渡り歩き、コミットしない。ISPは他人が献身的であることを期待しているが、自分自身は他人にコミットしない。彼らは賢明になってコミットするべきだが、この問題のせいでナルシストやサイコパスと見られることがある。

Seペアレントは子供が暴れるのを許すのではなく、経験の共有に責任を持つことになっている。彼らには自制心が必要である。彼らは周囲の人全員が自制心を持つことを期待しているが、自分自身は自制心がない。自分の人間関係を振り返って、最も重要なことを思い出して欲しい。もし、その人があなたに忠実であったなら、謙虚になって許しを請う勇気が要るだろう。実際に自分自身が忠実になり、一度でも名誉を得られれば素晴らしいことである。

Neクリティックは一貫して、他人の意図について結論を急ぐ。彼らは相手が裏切ると勝手に思い込んでいる。特に性的な面で、彼らは人に深入りしない。彼ら自身がコミットしないのではなく、他人がコミットすることを許可しない。彼らは自分たちが見捨てられると信じている。Seチャイルドは反抗的なので、子供を捨てたいと思う人が多い。そのせいで彼らは他人の注目に批判的になり、際限なく意図を勘繰る。

賢明になって、誰もが裏切るわけではないことを認識してはどうだろうか。Siユーザーがいれば、彼らはロイヤリティチェックをする必要がない程度には忠実である。彼らが裏切られるだろうと怯えているのは、自分のやりたいことに責任感を持っているからである。表面上は衝動的に見えるが、彼らが欲しいのは非常に珍しいものなので、気まぐれに物を欲しがることを許さない。自分はそれだけ望むものに責任感があるのに、他人は自分を裏切ると想定しているのである。その思い込みから実際に他人を裏切るのは、ENJの方である。

これらがクリティックの機能である。それは偽善であり、知恵でもある。我々は苦しんだり、痛みを感じるために存在する。それによって価値のあるダイヤモンドになる。ダイヤモンドは熱、圧力、痛み、苦しみによって創造される。どのダイヤにも独自の欠陥があるように、人間にも独自の欠陥がある。宗教界によれば、我々は罪の性質を持っている。

人間は欠陥があっても美しい、貴重なダイヤモンドになるべきである。それが人生の意味である。人類は知恵を得るために、この地球上で苦しみながら生きている。その苦しみから得た知恵は、クリティック機能に現れる。これは偽善として始まるが、何年も経つにつれて、自分たちが偽善者であることに気づき始め、謙虚になると、知恵を身につけ始める。

知恵は宇宙で最も重要である。しかし愛を理解する知恵が欠けており、愛のない人をどうやって愛すればいいのか?「隣人を自分のように愛せ」という格言を思い出して欲しい。まず自分を愛せなければ、他人を愛する必要はない。責任をもって利己的になる必要がある。どうやって?自分を正しく愛する方法を知らなければ、賢明になって他人を正しく愛することはできない。

知恵がなければ愛を持つことはできない。つまり、クリティックを発達させずに愛を持つことはできない。また、誰かを批判する時に劣等機能を攻撃すると、相手は憎しみや恨みを抱く。クリティックを批判すると、彼らはあなたから学ぶだろう。彼らは腹を立てるかもしれないが、心の底ではあなたが正しいことをわかっている。

自分と他人の偽善を破壊すれば、知恵が生まれる。人生の意味とは、人間が知恵を得て愛することができるようになり、なぜそのように見えるのかを許せるようになる。人々に対してそのレベルの理解があれば、彼らを愛することができ、許すことができる。それが敵であっても、理解すれば愛するようになる。愛に至った時こそが、敵を破壊する時である。

自分自身が偽善者であると認識し、それをやめて、自分の知恵を開発し、次に他の人がその知恵を開発できるように支援する。そして集合的な理解の結果として、我々は集合的な愛を持つ。それがクリティックの本当の教訓である。それが知恵の本当の教訓であり、人生の意味である。真の愛は、知恵と理解の結果として生まれるものである。

結局のところ、人生は何が賢明で何がそうではないのかということに尽きる。それに基づいて決定を下せば、あなたは悟りに近づき、より統合されていくだろう。