今回はINTJが虚栄心を使って自分の生活を改善し、最高のパフォーマンスを発揮して生活の質を向上させる方法を紹介する。虚栄心はINTJとESFPの大罪である。同じカルテットであるENTPとISFJも、二次的にこの大罪を持ち合わせている。
INTJはESFP、ENTJ、ISFPと同じガンマ・クアドラである。彼らは人生において名声と富を探求している。彼らは海賊のようなものであり、常に宝を探している。一方、十字軍は忍者である。海賊と忍者は一緒にいる。INTJにとって重要なのは、自分自身の為にできるだけ多くの宝物を獲得して集め、それを誰と共有するか考えることである。
彼らはENTJやISFPとは異なる。肉体の神殿が集めた宝物は、自身の遺産を残すために使われる。宝物を獲得するか、宝物を使うかの違いである。ENTJやISFPは宝物を獲得することが人生の目的のようになることもあるが、実際は人生の目的を達成するためにその宝物を使う。INTJは人生で探しているもの、つまり認知起源のために宝物を収集する。
彼らは自分に深い尊敬を持ちたいと思っており、自分自身に満足し、自分に価値があると感じたい。さらに、他人からも尊敬を得たいと思っている。INTJは放浪者として獲得した宝物を利用して、これを実現する。多くの場合、INTJは人生で最も求めている深い尊敬を得るために、虚栄心という大罪を利用することになる。
INTJは16タイプの中で最も浅はかである。彼らは賞賛、権力、ステータスを利用して、他の人々から敬意を得ようとする。それは必ずしも彼らにとって最良の状況ではない。虚栄心は、INTJが深い尊敬を得るために使用できるモチベーションの源である。多くの場合、彼らは内心で虚栄心を高め、宝物を獲得したり、多くの業績や資格、ステータスを得ることで自分自身を尊敬する。
究極的には、彼らにとっての涅槃とは、他人が彼らに深い敬意を払うことであり、自分自身を心から尊敬して良い気分になることである。全ては涅槃に到達することであり、そのために虚栄心を必要とする。例えば、仏陀の人生は虚栄心から始まった。彼は王子として全てを与えられたが、後半生は極端に謙虚になったのである。彼は極端な虚栄心に陥り、自分のアンバランスに気づいて、謙虚さを実行した。結局のところ、彼が求めていたのは他人からの、そして自分自身への尊敬である。
そのために、彼は大罪から生きる美徳の極端に走らなければならなかった。仏陀は名声を得るために虚栄心を用いるのではなく、謙虚さを使って信念体系を説くことで、人々から深い尊敬を得た。しかし典型的なINTJは、自分の虚栄心を利用して、多くの財宝や忠誠心を獲得し、業績やステータスを達成するために努力する。実際には名声は重要ではないが、最終的に彼らが本当に望んでいるもの、つまり深い敬意を獲得できるからである。
INTJなら誰でも同意するだろうが、平均的では誰も彼らに敬意を払ってくれない。彼らは常に平均以上になる必要がある。このため、虚栄心は彼らにベッドから起き上がってチームを結成する動機を与える。自己改善によって他人より優れた存在になり、平均以上になれば、並より上の扱いをされるからである。これがINTJが完璧さに執着している理由である。
彼らは平均以上になりたい。そうすれば人から尊敬され、自分自身を深く尊敬することができる。ただし、INTJの社交能力はデフォルトで平均を大幅に下回っているので、自分自身に決して満足できない。だから彼らは何かを達成しても、何かで平均以上になっても、別の何かを達成し続けなければならない。
そして彼らが求める成果の多くは、結局は空しく、徒労に終わる。それらの成果は、最終的に自己改善に繋がる。虚栄心は、長期的にはINTJに利益をもたらすことができる。彼らがモチベーションを保ちながら成果を上げ続ける限り、それがどれほど空しくとも問題ではない。最終的に自己改善に繋がり、それが達成可能なら、何が問題だろうか?彼らは達成できる。だからそうするだけである。
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