以前「美徳と悪徳」シリーズでENFJの残酷さについて紹介したが、今回はそれを踏まえてENFJの残酷さを詳しく解説する。タイトルはENFJだが、広義ではFJ全般に当てはまるだろう。なお基本的に彼らの残酷さを他人が止めることはできないので、本人たちが自省して改善するしかない。
まだブログでは取り上げていないが、「オクタグラム」という概念がある。これは人の認知的焦点を決定する8角形の図形である。最終的には、大罪や生きる美徳を使用して同種の焦点を決定するが、これは今回の論点ではない。だが、美徳と悪徳はこれらの概念に繋がっていることは心に留めておいて欲しい。
ENFJの美徳と悪徳は、慈悲と残酷さである。慈悲とは全般的に良い人のように振舞い、他者を助ける役に立つ人であること、彼らに何かを教え、良い経験を与えて思い出を作ることである。これがENFJがENFJたる所以である。
女性なら料理を作り、パーティーやイベントの主催を取り仕切り、イベントのコーディネーターまでこなすだろう。彼女たちはイベントを素晴らしいものにしてくれること間違いなしである。ただし、ENFJの悪徳は残酷さである。人々は美徳と悪徳の間を常に行き来している。NTPは嘘つきという評判があるが、残念ながらこれは真実である。
ENFJは他人に対しては非常に親切で、思いやりがあるように振舞う。しかし親しくなると、彼らの本当の姿が見えてくる。彼らは残酷である。残酷さはENFJにとって大きな問題を引き起こすが、彼ら自身はそれに無頓着である。その被害を被るのは本人ではなく身近な人物なので、ENFJ自身が困るわけではない。
NFJは出会ったばかりの人に対しては、感じの良い人物である。非常に思いやりがあり、親切で、こちらの事情にも理解があるように見える。彼らは良い第一印象を与えるために、全力を尽くす。その善意は第一印象にこだわるがゆえである。それ自体は悪いことではないが、その後が問題である。ENFJに良い印象を抱いた人が、ENFJの身内になったり、親しい間柄になった瞬間、ENFJはその人に対して残酷になる。
ENFJは親しくない人に対しては親切である。距離感が遠ければ遠いほど善人に見える。ENFJの慈悲は身内よりも赤の他人に向けられることが多い。彼らは他人を助けようとするが、家族よりも他人を優先して、配偶者や子供をないがしろにすることが多々ある。ENFJは他人に与えすぎて、家族にまで慈悲を与える余裕がない。彼らは疲れている。ENFJが他人に与えた分の損失は、家族が補わなければならない。
ENFJは残酷になり、最も身近な存在であるパートナーや家族に当たり散らす。そして外に出ると人が変わったようにボランティアに勤しむが、肉親に対しては残酷である。これは外向的なテンプル騎士団が抱える問題であり、彼らは身近な人たちに酷い扱いをする。しかし赤の他人にはピカピカの第一印象を与えるだろう。
彼らは他人に良い顔をするのに忙しく、親しい人に優しくするリソースが残っていないのである。16タイプの中で最もセラピーから恩恵を受けるのは、ESTPとNFJであろう。ENFJは他人に対する慈悲をいつ打ち止めにするべきかわからない。彼らは「ノー」と言うのが苦手で、溜め込んだストレスを家族相手に発散する。そしてまた外に出て行って、同じことを繰り返すのである。
彼らは他人になら金を貸すが、身内に対してはケチである。家族を助けられないのに、見知らぬ人を助けることに何の意味があるのか?ENFJは知恵を通じて、学ぶ必要がある。他人にかける時間、金、注意力、リソースのコスト計算を行い、それを家族に配分しなければならない。
ENFJはまず家族に与え、他人に利用されないようにする必要がある。他人に利用されるほど、家族に与える量は減り、残酷さは高まることになる。それをやめなければ、部外者に搾取されるがままになり、家に帰るころには心の中に慈悲は残っていない。人間が1日に持てる慈悲は限られている。彼らは家族に対して残酷で冷たい。特に子供がFiトリックスターやFiデーモンであれば、大きなダメージを負うだろう。子供の頃の環境によって認知的焦点が決定する。
もしパートナーが同じFeユーザーであれば、ENFJは更に消耗するだろう。Fiネメシスは既に外部の人々になけなしのFiを提供しつくしている。子供たちに与えるものは何も残っていない。Siトリックスターには分別がないので、ENFJは誰にでも同じように接する。家族を他人より上位に置くという分別がない。
ENFJの恋人は、自分を最優先にしないENFJに不信を抱く。ENFJは他人に与え、身内から奪う。自尊心のある人間なら、そんな扱いをしてくる相手と結婚しようとは思わないだろう。だから良い人のように見えるが、独身のENFJは多い。
彼らは自制心を発揮して、他人に「ノー」と言うべきである。ENFJの金や恩恵を受け取るのは第一に家族であり、他人ではない。そうでなければENFJは疲れ果てて、残酷になり、家族はENFJを憎むようになるだろう。
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