ENTPとENTJにはどんな違いがあるか?彼らは両方とも知識人である。ENTPのインタラクション・スタイルはスターター、ENTJはイン・チャージなので、両者とも自分から会話を始めることを好む。他の人々が話しかけてくるのを待つのは、内向的なアプローチである。

ENTPとENTJの違いの一つは、前者が行動ベースなのに対し、後者が制御ベースなところにある。スタータータイプは行動志向である。進歩するためには行動しなければならない。彼らは混沌とした領域で活動する必要がある。混沌とは水のようなもので、流動的で液体に似ている。ここで何かを制御しようとしても機能しない。

コントロールタイプは自分のペースで進むので、時間がかかる。物事が制御不能であれば、進歩することはできない。ムーブメントから見ると、物事は混乱の中でこそ進歩する。全てが厳密に管理されすぎると、進歩は起こらない。ここには人間同士がどのように相互作用するかについて、二つの視点がある。

通常、「野心的」と称されるのはENTJである。彼らにはNiペアレントがある。しかし、それは実はNiネメシスかもしれない。彼らは自分の将来について心配しており、目標を達成できない心配から行動に駆り立てられる。ただし、ENTPは一日の計画を細かく立てることはしない。彼らは流れに乗る。ENTPは水のようなものだが、Tiペアレントには火の要素もある。NTJは物事を戦略的に考えるので、流れが来るまでのアプローチも準備しておく。

ENTPはINTJの影にいる時を除き、率直に話すことはない。時にそれは、自我が疲れて影からぬけ出せなくなった時や、ぼんやりして何をすればいいのか分からなくなった時に起こる。そして何も考えたくなくなって、INTJの影に入り込む。対して、ENTJは非常に直接的である。彼らは対話ではなく、指示を好む。自分が話したくなくなると、応答したくないので、会話を打ち切るように指示してくる。だから古いテキストメッセージにも反応しない。

ENTJはコミュニケーションを取ることはできるが、それは自分が今していることに興味が無い時だけである。彼らは行き当たりばったりの会話に付き合うことを嫌うので、その会話を一日の予定に組み込まなければならない。ENTPは人と喋りながら作業に取り組む。ENTJは自分の時間を体系的に割り当てる。彼らは「このブロックでこれをやる」と決めてある。ENTPは何かが起こるに任せて、事後的に優先順位をつけ、物事が進むにつれて対処する。こうすれば、同時に多くのことができる。

ENTJにはやるべきことが沢山あるので、ENTPや他のランダムな要因によって、一日の予定を狂わされたくない。ENTPは不意に話しかけられても、すぐに対応できる。これは直接的に制御を開始するか、情報提供して行動を開始するかの違いである。インタラクション・スタイルの観点からも、ENTPは始めたことを終わらせるのが苦手である。ENTJは計画を立て、それを実行するのが得意である。

ENTPもINTJの影を使えば、実行力と組織力を高めることができる。これは人生の苦しみの結果として、開発されることもある。もし親がENTPを好きではなく、一種の不正因子のように思っていたとしたら、子供はINTJの影に移行するだろう。Niネメシスは自分が何を望んでいるかはわかっているが、まず他の人々が何を望んでいるかを知る必要がある。それがわかれば、それを代わりに手に入れることで、自分が行きたい場所まで辿り着く助けとなるだろう。これがNeヒーローのセオリーである。彼らは劣等Siを発達させて、誰が何を望んでいるかのデータを覚えておく。

ENTJはビジネス志向で、CEOになって金持ちになるのがテンプレルートである。彼らは非常に合理的である。ENTPは自分の資金でリスクを負い、さらに成長しようとする。ENTPやENFPがENTJに比べて、商取引が下手なわけではない。彼らには彼らなりの戦略がある。そしてENTPのTiは彼らが嫌われる理由のひとつである。Tiペアレントは他の人々がどう感じるかよりも、公平なことを重視している。しかし、それは礼儀知らず、社会性が無い、などの評価を与えられることが多い。特に親がISFJだったりすると、超ネガティブな認識を持たれるので、自我が抑圧される可能性がある。親と相容れないタイプの子供たちは、自分の潜在意識か無意識に閉じ込められる。この状態でMBTIテストを受けるとどういう結果になるか、説明するまでもないだろう。

そして日替わりでENTPになったりINTPになったりする。変わっているのはタイプではなく、心の側面である。彼らが家族から離れ、自分の自我を好む人々と過ごすようになれば、心が癒されて自我に戻ることができる。あなたの心は実際にあなたを特定の側面に配置し、状況に応じて別の側面に移行させる。例えば、ENTPがパーティーに行って不快になると、舞台裏のISFJのようになる。彼らは外向的な素振りも見せず、誰とも接触しようとしない。ENTJやENFJのようなSeチャイルドがやってきて快適にしてくれるまで、ENTPは不安定なISFJの殻に閉じこもっている。人々がENTPの言うことを気に入らないと、彼らは影や超自我に入り込んで、痛烈なジョークや毒々しい皮肉を投げつけて注目の的になるか、人々を遠ざけることになる。

人々は心の四つの側面が日々変化していることを理解する必要がある。自我は第一義的なものである。影は全てを包括するものとして存在する。ENTPの影は未熟なINTJだが、トラウマや問題、葛藤に対処している時はINTJに向かう。問題を解決できない時は、潜在意識に移行する。最後の手段は超自我である。そして周囲の全てを焼き尽くす。全ては状況次第である。心の四つの側面や性質は、近くに誰がいて、何をしたいかによって決まる。もしENTPが「何かを食べよう」と決意したら、彼らはINTJの影に移行する。そして計画を立て、それを実行するために行動する。そして食べ物を手に入れたら気分が良くなり、再び自我に戻って直観を働かせることになる。

ENTPが影の中で育つと、INTJシャドウは組織能力を利用してENTPを強化する。これはよく発達した人間の姿として知られる。悟りとは、心の四つの側面が全て調和していることを指す。人の内面の葛藤は、互いに競合する心の四つの側面から生じる。そのような問題を引き起こしてはならない。そのような競合が発生すると、人の心のバランスが崩れることになる。望まれるのは、人間が統合されることである。我々が求める統合とは、四つの側面が個人の為、人々の為、共通の目的の為に調和して働くことである。私がNTJに見える理由のひとつは、私がENTJの影を支配しているためだろう。潜在意識もまずまずだと思われる。私は統合されたINTPとして、より構造化されたアプローチを提供できる。他のINTPたちは舞台裏でもじもじしているだけである。

殆どの場合、年齢を重ねるにつれて統合が進むので、心を視覚化する人間にとってこれは自然な作業である。年齢を重ねたからと言って必ずしも成熟するわけではないが、多少は賢明になるので、成熟する可能性は高まる。とにかく、これが私が他のINTPより芯があると言われる理由である。私の人生において、それしか選択肢がなかった時代がある。これは私のSiチャイルドに刻まれているが、それで人生全体を過ごしているわけではない。

人々は自分のタイプを家族や社会に許可されないことがある。彼らは様々なラベルを貼られる。ESFPやENFPはADDやADHD、INTPやINTJ、そして一部のENTPは自閉症として扱われる。これらのラベルは彼らと何の関係もなく、彼らが何者であるかは彼らのタイプに関係している。だからお互いを批判するのはやめて、相互理解に努めるのが理想である。しかし、実際はそうはならない。「相互理解」の名目のもとに、互いを抑圧し合っているだけである。

ENTPについて尺を割き過ぎたのでENTJの話をすると、彼らは非常に合理的である。カーシーはNTを合理気質と呼んだが、実際に合理的なのはTeなので、NTの半分しか該当しない。そもそもカーシーが気質を考案したわけではなく、出典はプラトンである。プラトンは彼らを守護者、職人、哲学者と呼んだ。この哲学者は知識人に置き換えられる。NTは未来志向の思考を行うが、これは合理性の問題ではない。

Teクリティックは、合理性を理由に人々を批判することがある。決定を下し、指示を出し、プロセスに従う。A, B, Cを実行するとDが得られる。それは理解できるが、それはただの事実であり、合理性である。こうして彼らは他人の考えを批判する。人には感情があるので、ENTPは彼らを気にかけ、良い気分になってもらいたいと思う。しかし愚かなことをしている場合は別である。その愚かな考え方は他人に害を及ぼす。潜在意識ISFJは腹を立てる。賢かったら、そんなことはしないだろう。彼らの望み、それがどんな未来をもたらすかNeヒーローには分かる。それは間違った望みなので、適切な考え方を指南しなければならない。

これはNeクリティックでもあり得る。ENTJは「何故こんなものが欲しいのか?別のことに集中しろ」と相手に指示を出す。どのヒーローも、物事に別の方法で集中する必要があることを伝えることができる。率直に言うと、ENTPは別のことに集中する必要がある時に、集中することができない。彼らはNiヒーローではない。ENTJにはNiペアレントがあるので、自分のやりたいことをして、人々に良い経験を与えることに集中できる。ENTPは自分が与える経験のことなど気にしていないが、ENTJは他人の評価によって自分の価値を決めるため、Teで他人の考えを気にする。ENTJは他人に良い体験を提供するために、潜在意識ISFPで芸術的な作品を視覚的に表現する。ENTPはセンスが悪い。

Seデーモンは他人に提供する経験に無関心である。ENTPが提供するのは、経験ではなく情報である。人々がそれを聞いて変わってくれれば良いが、そうならない時もある。人々は苦しみの領域に留まる。いずれにせよ、ENTPは誰かに良い経験を与えることにコミットしているわけではない。彼らはENTJのようにパーティーを開催し、全員の出欠確認を取りたいとは思わない。ENTPがパーティーに行くのは、与えるためではなく、受け取るためである。ENTPは芸術を鑑賞するが、作りたいとは思わない。試しにやってみても、上手くいかないだろう。Teクリティックで自分の絵を批判するはめになる。ENTJだったら、もっとプロフェッショナルにやる。出来栄えに、自分の評価がかかっているからである。

ENTPは必要に応じて責任を負い、何かの創設者になることはできるが、すぐに飽きて誰かに任せる。彼らはスタータータイプなので、始めたことを終わらせない。ENTPが何かを続けて完了させるには、劣等Siがそれを義務だと感じなければならない。ENTJが物事を完了させるのは、ただそうすると良い気分になるからである。ENTPは人々のことを気にかけているが、良い経験を提供するのではなく、自分が経験を積もうとする。ENTPが情報を提供するのは、そうすれば人々が賢くなって、ENTPに良い経験を与えてくれると信じているからである。

ENTJは道徳の羅針盤として、Fiを持っている。ENTPは持っていない。彼らは自分がどう感じているか気にしていない。彼らが気にしているのは、相手が何を感じているか、何を大切にしているかである。残念ながら道徳意識がないので、そんなつもりがなくてもサイコパスやナルシスト診断で高得点を叩き出してしまう。しかし物事を実現するためには何でもしなければならない。良いことのために悪いことをすることもある。ENTJには劣等Fiがあるので、うっかり手が滑ってしまったり、自分が悪人だと感じている時を除けば、そんなことはしない。ENTJは非常に結果志向だが、道徳を犠牲にしてはならない。

ENTPも自分自身と向き合って生きなければならないには違いないが、それは自分の気持ちではなく、他人の気持ちに基づいている。彼らのNiネメシスは自分の将来を心配している。しかし、その苦しみが人をより良くする。これは自己啓発系における常識である。失敗は最大の教師であり、苦しみとなるが、成功するために避けては通れない。その苦しみに耐えるために、潜在意識ISFJが存在する。ISFJは罰を受けるためにスタンバイしている。「あなたを殺さないもの全てが、あなたを強くする」と言うように、苦しみには価値がある。その苦しみが耐えるべきものかどうかは考慮しなければならないが、あなたが苦しみを超えて成熟できることを願っている。