今回でLevel13は最終回となる。これまでの講義はロバート・ムーアとダグラス・ジレットの”King, Warrior, Magician, Lover”を下敷きとしてきた。それを女性の元型にも応用しているが、恋人の元型は男性と女性で主旨が異なる。男性は人生を楽しむことに焦点を当てている一方、女性は恋人の元型に頼らなくても、デフォルトで人生を謳歌している。
女性はネイル、スイーツ、エンターテイメントなど、人生の小さなことを楽しんでいる。彼女たちは休暇に出かけたり、特別なイベントに力を注ぐが、男性は仕事ばかりしていて記念日を忘れる。だから男性は仕事を忘れて、人生を楽しむように心掛けなければならない。仕事とプライベートにも、陰陽の均衡を意識して欲しい。男性は人生を楽しむ時間を取りながらも、依存症や不能にならないように気をつけるべきである。
成熟した女性のアプローチはそれとは異なる。女性は概してお祭り騒ぎが好きである。彼女たちは人生を楽しむのが好きで、その方法は16タイプのどれに該当するかによって異なるが、この社会では皆が自分の事ばかり考えている。なぜなら、仲間の人間に対する信頼や愛が欠けているからである。だから自分の利益の事だけを考えるが、逆に言うと、彼らには自尊心が全く欠けており、責任を持って利己的になることができていない。まず自分を愛せていないのに、他人を愛する意味などあるだろうか?隣人を自分と同じように愛するのである。
男性はしばしば、無力な女性や依存的な女性に直面する。彼女たちは利益ばかり求めて、責任は一切負わない。成熟した女性はそんなことはしないが、恋人の元型の影を扱っている場合、何らかの形で受け取ることを要求する。これは自己愛が行き過ぎたパターンである。多くの人は自尊心が足りず、自分を十分に愛していない。その一方で、自己愛が強すぎてナルシストに陥っている人も多い。そこからお祭り騒ぎが生まれる。男性が望むのはお祭り騒ぎが好きな女性ではなく、非常に深遠なことを好む女性である。それこそが恋人の元型の基礎となっている。
これはフェミニズムに反する考え方である。フェミニズムは女性のプライドや職場における優秀さを強調する。エリザベス・ウォーレンは女性が職場に入ることが米国にとって災難になるという本を執筆しているが、既に父親が家にいないのに、母親もいなくなると子供は国家によって育てられることになる。そうすると何が起こるかは、これまでに何度も説明してきた。それに対処するには母の元型を守らなければならないが、これは恋人の元型を維持することに帰着する。
お祭り騒ぎは、楽しい時を楽しみ、良いことにのみ焦点を当てるようなものである。女性が男性を楽観的過ぎる、あるいは放蕩に浸っていると見なすのは、女性がより良いものに集中し過ぎて、男性に欠点があれば、明らかに価値がないと判断してしまうからである。人生の良いものを当然と考えると、そういうことが起こる。女性が恋人の元型の影、つまり依存症の恋人に陥ると、より良いものを標準として考える。男性がその基準を満たせなければ、女性は関わらない。
結婚の誓いを立てる時に「病める時も健やかな時も」という決まり文句があるが、これはネガティブなことにも対処することを前提にしている。しかし、そういう誓いを真面目に受け止めている人は殆どいない。真剣に受け止めていたら、結婚しないだろう。人生には悪いことが起こるので、良いものに執着してはならない。どれだけ善人でも、災難に見舞われることはある。ジョーダン・ピーターソンは「人生を生き抜くための12のルール」で、意味のあることをして便宜的なことを避けるように説いている。
依存症の恋人のもうひとつの特徴は、執着心である。これは便宜的なことに焦点を当てており、金目当てである。恋人の影である無力な恋人は自分に価値がないと思っており、人生の否定的な面に浸ってしまう。恋人の影は未熟である。これを成熟させるには、どうしたらいいか?彼女たちは自分で自分を救えると思っていないので、神や宗教に縋ることになる。彼女たちが「神は自らを助ける者を助ける」という言葉を思い出せば、より良い人生を送れるだろう。しかし何らかの理由で、そうはならない。心が無力な恋人にあるからである。
これが女性に多くの疑念を抱かせる原因である。女性は自分に多くの疑念を抱いているが、化粧したり、美容院に行ったり、自分のニーズを満たす責任を取ることもしない。彼女には自己意識がなく、自分を愛することができない。その自己愛の欠如の為に、多くの問題を引き起こす。例えば、共依存である。メロディ・ビーティーの”Codependent No More”という本を読んでいなければ、是非とも読んで欲しい。
無力な恋人の原因となるのは、虐待である。人生に打ちのめされ、絶えず苦しみ、サポートを欠いている女性、父親が不在な女性は、この問題に陥る。本来はそこにいて、自分を気にかけてくれるはずの男らしい存在が、全くそうしなかったという事実は、無力な恋人を生み出す。自分に十分な価値がないと感じながら共依存に陥り、鬱病になって薬漬けになる。無力な恋人は憂鬱そのものであり、破滅の自己成就予言に繋がる。彼女たちには自己意識がなく、自己そのものが現実的ではない。
特に女性のFJは無力な恋人になる可能性が高い。彼女たちにはFiがないので、自分自身を適切に評価することが難しく、幼少期には父親から外部の承認を求める。その承認がなければ、自分自身を評価せず、無力な恋人になる。もし父親から過大評価されたり、何でも与えられたりして利己的になると、依存症の恋人になる。彼女たちは人生の良いものを楽しんでいるが、無力な恋人は人生の苦痛を楽しんでいる。
これに対処する正しい道が、成熟した女性性である。これを獲得するには、人生を楽しむのではなく、尊敬することを学ぶ必要がある。人生をドラマティックに楽しもうとすると、依存症か無力な恋人になってしまう。人生や自分に対して、深い尊敬を持つことが重要である。女性は自分が何者ではないかを気にするのをやめて、何者であるかを認識する必要がある。男性はパイを見ると自分のスライスを取るが、女性は相手のスライスが欲しくなり、競争になる。
あなたが人生を貴べば、あなたは無力でもなく、依存してもいない。それはあなたが感謝しているからである。依存症の恋人は、人生の良いことを当然だと思っており、無力な恋人は人生の悪いことを当然だと思っている。INFPの女性が結婚すると、自分がディズニープリンセスになったような幻想を抱き、怠け者になってしまう。そこには自尊心も尊敬の念もない。女性の恋愛がうまくいかないのは、良いことも悪いことも当然だと思っているからである。
女性は良いことに感謝するだけではなく、悪いことも尊重する必要がある。自分の失敗や痛みに感謝することで、より良い人間になれる。人生の苦しみがあなたをダイヤモンドにするのである。あなたには欠点があるが、地球上で最も貴重な物質である。何事も当たり前だと思わず、それを尊ばなければならない。
依存症の恋人は、良いものに集中し過ぎて誘惑的になる。女性であっても、異性を渡り歩くことになる。これは楽しい時間を過ごすことを期待しているからである。彼女たちは良いことを期待しており、それが当然だと思っている。付き合っている男性が何らかの理由で仕事を失うと、依存症の恋人は次の男に乗り換える。これは成熟した男性を探しているのではなく、単なる金目当てである。
無力な恋人は人生に打ちのめされているので、冷淡になる。彼女は虐待の結果、常に恥ずかしさを感じており、自分が何かを行うには十分ではないと思っている。人生を尊敬し、当たり前だと思わない女性が、成熟した女性である。謙虚で、人生と自分自身に深い尊敬を抱いている女性こそ、女王に相応しい。
女性が男性を体内に受け入れるには、多くの信頼と尊敬が必要である。その尊敬がなければ、女性は成熟しておらず、依存症の恋人か無力の恋人である。誘惑的か冷淡か、いずれにしろ未熟である。4つの元型を完成させるためには、女性として人生を敬う必要がある。感謝して、良いことも悪いことも当然と思わない。快楽ではなく敬意を通じて、成熟した女性性、恋人の元型を獲得することができるだろう。
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