最初のシリーズでは心理機能について説明したが、このシリーズでは気質とインタラクション・スタイルを取り上げる。心理機能は全ての基本ではあるが、指標に適切に対応していないという欠点がある。私が「INTJに見える」と言われるのも、これが原因だろう。指標と言うのはENTPやISFJなど、タイプを表す4文字のことである。外向と内向、直感と感覚、思考と感情、知覚と判断。テストはこれらを測定してタイプを判定する。つまり、テストが対象にしているのは指標であって、心理機能ではない。

だからタイプを決められなかったり、混乱する人が後を絶たない。タイプに迷う理由は色々あるが、第一の問題はこれだろう。私のところにも「本当に自分はこのタイプだろうか」「どうやってタイプを決めればいいのか」という質問や相談が来る。自分がタイプに迷ったことがないので判定にあまり興味がなかったが、考えてみればおかしな理論である。

では、テストを使わずにタイプを決めるにはどうすればいいか?最初に言ったように、気質とインタラクション・スタイルを使って決める。心理機能でうだうだやりたくない人は、この組み合わせでタイプがわかる。まず4つの気質を紹介して、次にインタラクション・スタイルに移る。それから、各要素を掛け合わせた気質マトリックスについて説明する。

前提として、心理機能と気質は違うものである。心理機能は内面の働き、つまり情報を収集して決定を下す方法であり、気質は外からでも観察できる行動のパターンである。これを基準にSJ、SP、NF、NTで性格を分類する。

その気質の発祥は誰か知っているだろうか。カーシー?違う。プラトンである。一般的にはヒポクラテスだろうが、類型的にはプラトンと言った方が正しい。プラトンは「国家」で人間を類型化しており、その中に「守護者」という人々がいる。この守護者がSJかNTかを巡って海外フォーラムで争いになっていたが、まあその話はいいだろう。

最初に紹介するのは、SJ気質である。これは「守護者」とも呼ばれ、ESTJ、ESFJ、ISTJ、ISFJの4タイプが属す。人口の40%を占める多数派である。彼らはSiに経験を蓄積することで、非常識とも言えるほどの長期記憶を可能にする。あるISTJはメールをチェックしたらすぐに削除する習慣を持つが、内容は全て覚えているらしい。テレビで政治家が「記憶にございません」と言っているのを見るだろう。誰もが知っていることだが、あれは嘘である。彼らは我々を(?)「守護」するためなら、嘘も辞さないのである。

よくタイプを決めるために「子供時代のことを思い出しましょう」と言われるが、SJは言われなくても覚えている。自分を作るのは何か?今までの経験だろう。だから彼らは性格診断に興味を持たないのである。他の気質は自分の過去など覚えていないので、「あなたは○○な性格です」と言われると、「そうだったんだ。そういえば…」と記憶を捏造して楽しむことができる。

しかし記憶力が良い代償と言うべきか、彼らは変化に弱い。馴染みの場所に変化があると、SJは口に出して確認する。それについて他の人々がどんな意向を持っていて、自分が果たすべき義務に変更がないか確かめたいのである。NPは勝手に推測するが、SJは教えてもらわないと不安を覚える。彼らが社会的行事を好むのも、自分が知らない間に何かが変わってしまうことを恐れるためである。これは一度に大勢の意向を確かめることを目的とした、SJなりの合理的行動と言えるだろう。こうしてマメに確認することで、彼らは自分が一般的な市民であり、義務を果たしている自信を深めていく。

SJは「経済的なタイプ」と言われる。動物に例えるとリスである。彼らが蓄えている食料に手を付けてはならない。「沢山あるから少し食べてもいいだろう」と思っても、彼らは気づくし、事あるごとにそのことに言及する。しかし、食べられないための対策は取らない。なくなったらまた買ってきて補充する。もう一度言うが、彼らが蓄えている食料に手を付けてはならない。

なぜ彼らはリスクを嫌うのか?SJは「世界は痛みと苦しみに満ちている」と信じているので、これ以上の苦痛を増やしたくないのである。だから悪いことが起こっても「自分のせいではない」と思って耐えることができる。しかしマゾではないので、快適な方がいいとは思っている。だから快適な感覚を与えてくれる相手を求めている。つまり、外向的感覚の持ち主である、SPである。SPは感覚を与えることを優先し、SJはそれを経験として記憶することを優先する。

前述したように、日本でSJは多数派である。しかし、とある海外の発信者が「我々アメリカはSJ国家ですが、日本はNT国家です」と堂々と言っていて笑ってしまった。それは知らなかった(笑)。しかし、彼の言うこともあながち間違いではないかもしれない。2021年の小学生男子がなりたい職業は1位会社員、2位Youtuber、3位サッカー選手で、SJが好む警察官は10位である。小学生の時点ではSJではない、ということだろうか。一体、どの時点でSJが確定するのだろう。私の観測によると、SJになれなかった人々はADHDやASDを名乗っていることが多いが、他の気質が支配的な場合はどうなるのだろう。

ところで、ネット上でSJがN型から目の敵にされがちな理由を考えたことはあるだろうか?ミクロ的には、保守的なSJが新規性を好むNを迫害しているから、という解釈が一般的だろう。この件について考えるには、「疑似科学とは何か」ということを知っておく必要がある。

そもそも、疑似科学とは何のために存在するのか。疑似「科学」と称されるように、疑似科学は科学と似た形を取って存在する。例えば、心理学は科学だが、類型論は疑似科学である。同様の関係は他の科学分野でも成立する。しかし、何故わざわざ科学と同じコンセプトで、科学性のない概念が存在しなければならないのか。

デイビット・ヘクトによると、疑似科学とは「科学という権威への反抗」である。反抗と言っても科学の権威性を失墜させる思想を帯びることはなく、ここが陰謀論との違いと言われるが、要するに「科学性がない」ことが存在意義なのである。「なぜ科学ではないのに信じるのか」とよく言われるが、「科学ではないから信じる」のである。「疑似科学」は科学が発展し権威性を高めた1960年ごろから、爆発的に増加している。奇しくも、マイヤーズが初版を完成したのは1962年である。

これを念頭に置いて考えてみると、なぜMBTIは人気があるのか分かる。MBTIのタイプ比はS:N=7:3で、明らかにS型に偏っている。つまり、タイプ分類の時点で「権威vs少数派」という構成になっている。「あなた方の敵はこれです」と言わんばかりである。ここまであからさまな類型は他にないだろう。もっと言うなら、SとNの関係は、そのまま「科学に寄生する疑似科学」の構図に置き換えられる。同じS型でもSPがあまり槍玉に上がらないのは、タイプの特徴が「権威」のイメージと一致しないせいだろう。

つまり、あなたは「自分の性格を理解したい」のではなく、「既存の常識や権威に逆らいたい」のである。その常識や権威は親であったり、上司であったり、その他の社会規範であったりするだろうが、漠然と自己分析したり○○タイプとの関わり方を考えても、自分が大きな不満を持っている対象は何で、どうやってその対象と折り合いをつけるか知らなければ、その不満をSJにぶつけることになる。

これでMBTIが孕む欺瞞が分かっただろう。「人それぞれ個性を認め合って仲良くしましょう」という綺麗ごとを語りながら、実際は対立をけしかけているのである。そして、それに踊らされているおめでたいN型が大勢いる。あなたが夢中になっているのは、「そういうもの」なのである。

そして冒頭でも言ったように、テストの問題もある。テストの話もどこかでやっておいた方がいいかもしれない。これらの問題を解消するために、気質とインタラクション・スタイル、そして心にある四つの側面という概念が役に立つだろう。

この記事の読者は実際のSJよりも「SJに恨みを募らせたN型」が多いという想定の上で言うが、あなたの中にもSJがいるのである。現実のSJにばかり気を取られていると、自分の中にいるSJに足元をすくわれることになる。詳しくはそのうち説明することになるだろう。今回は以上である。