タイトルには「教育」とあるが、別に現在の学校制度が良いと思っているわけではない。以前も書いたように、現在の教育制度は個人の為のものではなく、国家の為のものである。この教育制度は完全に時代遅れであり、インターネットを使えば教室で授業を受ける必要もない。嫌いな教師や同級生と顔を突き合わせて3年間も同じ学校に閉じ込められるから、いじめが起こるのである。

昔は様々な学問を学ぶために、教える人が必要だった。今ではググれば大抵のことは解決する。Youtubeには専門家が膨大な講義を投稿しているし、本を読むだけの集中力がない人でも、オーディオブックを利用すれば知識を習得できる。アクセスできる情報量は、かつてないほどに高まっている。

いずれにしても、我々が教育や学習に取るアプローチは、進化し成長する必要がある。問題はいつでも情報にアクセスできるインターネット社会にある。ここに4つの側面をどう応用すればいいか。第一に、自分や子供のタイプを理解することで、勉強の内容だけでなく、自分の強みや弱み、能力やオクタグラムにも影響する。自分のタイプを理解することで、成長能力が急速に加速する。

また発達上のニーズに基づいて、相応しい環境に移ることもできる。多くの場合、Seユーザーは何らかの共有体験を必要とする。これは学校教育が提供する利点であり、Niユーザーにとってメリットである。その共有体験を使用して、現在にどうアプローチするかが問題であろう。現在の学校制度は時代遅れだが、日本にインターネットが導入されてから40年しか経っておらず、2000年時点でも普及率は37%である。社会を変えるには時間が足りない。

一方、教育制度は遥か昔から存在する。その時は知識のある人や賢明な人を探さなければならず、得た情報が真実か虚偽か知るすべもなかった。今では真実を突き止めるのは、遥かに容易い。Siユーザーは他の人々とネットワークを構築する方法を学ぶ必要がある。ソーシャルメディアが支配する時代には、簡単なことである。何らかのコミュニティに参加するか、自分で主催することもできる。

この時代に優れているのはどのようなタイプなのか、我々は開発して学ぶ必要がある。情報へのアプローチ方法、好み、オクタグラム、神殿、つまり自分の自然な性質を理解することで、他者より優位に立つことができる。自分の長所を活かすか、弱点を克服するか、この情報をどう使用するかはあなた次第である。結局のところ、自分にとって何が最善かを見つけ出すことが重要である。

親であれば、子供のタイプを学び、メディアとの関わり方を学ぶことが不可欠になる。テクノロジーは社会に深く根付いており、これを子供から引き離すことはできない。ネットを遮断すれば、インターネットを最大限に活用して自分たちに有利なゲームを進め、勝利する人々に後れを取ることになる。

この場合、いくつかの選択肢がある。Siユーザーには様々なニーズがあるが、自分自身を規律する術を学ばなくてはならない。ネットには質の低い情報が溢れており、それらに触れることで脳が汚染される。Seユーザーも同様に、様々な情報オプションを把握することを覚えないといけない。親の役割は、自分の子供のタイプを見極め、どのような落とし穴に陥るかを理解しておくことである。

インターネットは無法地帯のようなものなので、犯罪に巻き込まれる恐れもある。しかし、子供のアクセスを完全に制限することはできない。コントロールには限界がある。好むと好まざるとにかかわらず、子供は親よりもテクノロジーの扱いに優れており、抜け道を見つけ出すだろう。だからインターネットの危険性について、よく子供と話し合う必要がある。対応を間違うと、子供を育てるのはあなたではなく、インターネットになるかもしれない。

教育において、心の4つの側面がどのような役割を果たすだろうか。お互いを理解し合うことで、自分自身を子供や他人に投影しなくなる。そうすれば正確かつ効果的な学習方法を指導できるだろう。今ソシオニクスの診断レポートを作っているが、これをネオユングに応用してテキストでタイプを識別するコースを販売する予定である。子供たちにその方法を教えておけば、お互いをより良く理解することができる。教師が子供に何かを教えるのではなく、何を学ぶべきか知る方法を教えるのである。テキストでタイプを識別し、子供が自分自身の長所と短所を適切に評価するのは、その一環である。

あるいは教育において偏見があるポイントを把握すれば、自分を守ることもできる。Teユーザーは結果に問題を抱え、Tiユーザーは好ましいインプットに執着する。これらの問題を把握しておけば、Google検索を行う際に、自分の主張を裏付けるソースに飛びつくことを自重できるだろう。現代では、どんな主張の根拠となる出典も見つけることができる。それを理解し、自分の偏見が何であり、それをどうやって検証するか考えておかなくてはならない。