実は類型論に触れた多くの人々は心理機能を理解していない。定義や特徴については熱心に考え、「発想力」を競い合うが、機能同士の関係や役割については頭がお留守である。それも無理からぬことで、ネットの診断やサイトに掲載されている説明は、読者を煽てて良い気分にさせることに全力を注いでいる。「INTPは独創的な思考ができます」「Niは本質を見抜く洞察力です」などの誉め言葉に気を良くして「わたし病」にかかった人々が、ネット上に大量発生している。実際は名乗ってもらわないと何のタイプかわからないし、言っていることは妄想か周囲への恨みつらみか自己分析風ポエムでしかないので、個性もクソもない。

そういう人々を見ていて、あるいは自分を顧みてこう思ったことはないだろうか。「どうしてタイプがわかったのに生きにくいんだろう」。まず考えられるのはミスタイプだが、そうとは思えない場合、「少数派だから生きにくいんだ。私って個性的だから、S型ばかりの社会で浮いちゃうんだよね」という結論に帰着する。それは本当に正しい認識だろうか?「自分のことは自分が一番よくわかっている」と思うだろう。しかし、実は正しく自己認識できている人間は、10~15%しかいない。

自己認識(じこにんしき, Self-awareness)とは、内観能力のひとつであり、自分を環境や他の個人とは別の個人であると認識する能力である。

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つまり、あなたは自分のことをわかっていないし、あなたが日常的に接する人の大半も自分のことをわかっていない。まずはこれを念頭に置いて欲しい。

私はINTJに論理性を感じたことは殆どないが、自分を論理的だと思っているINTJは大勢いる。ネット上のINTJ評を読むと「論理的すぎて理解されない」と書いてあることが多いが、「論理性に欠けていて理解されない」の方が実態に近いだろう。TiとTeの違いから教えないといけないのかもしれない。しかし彼らが自分を論理的だと思うのには理由がある。INTJの無意識はENTPで、ストレス時にクリティックであるTiが批判的に働く。だから彼らが自覚しなければならないのは「自分はTiが使える」ことではなく、「自分は今ストレス状態にある」ということなのだが、間違った「自己理解」を積み重ねて、生きにくさが増していく。

「正しく自己認識できていない」。これが生きにくさの正体である。あなたの周りのS型が生きやすそうに見えるのは、あなたほど自己評価が高くないからではないか。あるいは、タイプ以外に生きにくさの原因があるのに、問題から目を逸らしているのかもしれない。多くの人にとって、「自己認識=正しいタイプがわかること」だろう。だから自分のタイプが何かは一生懸命に考えるが、タイプさえわかれば自分を知った気になってしまう。しかし、「自分が思う自分」と「他人が思う自分」のバランスが取れなければ、正しく自己認識したことにはならない。

こんなことを言っているが、私はタイプの診断が嫌いだった。というのも、何かの電波を受信したINFJに「エイミーリーさんは夢の中で味覚を想像できないので(?)INTJです!INTPは誤診です!」と言われて、不愉快な思いをしたせいである。この手の電波系INFJは一定数存在するのでいちいち驚いていられないが、初めて遭遇した時は「一体どこの星と交信しているのだろう」と思わざるを得なかった。それ以来「診断とかクソだろ」とずっと思っていたが、自分を客観視するには他者の視点も必要なのかもしれない。

そういうわけで、私たちは自分のことすら分かっていない者同士でコミュニケーションを取らなければならない。しかも、それぞれが認識する世界は違う。お互いに自分の世界観をどうにかして認めさせたいと思っているが、それは自分が傷つかず楽に達成したいとも思っている。どうすればいいかは追々考えていくとして、ここではその世界観を生み出している心理機能について説明しておく。

まず覚えて欲しいのは、心理機能はバラバラに存在するものではなく、主機能と劣等機能、補助機能と代替機能のペアで成立する。初心者はSとN、TとFの対立構造に持ち込みたがるが、重要なのは外向と内向、判断と知覚の違いである。主機能がTFであれば判断、NSであれば知覚を指す。ペアは常に同じ属性の外向内向違いで成立する。主機能がTeなら劣等機能はFi、補助機能がNiなら代替機能はSeとなる。JとPのことはひとまず忘れていい。

「機能は単独ではなくペアで成立する」という視点を忘れると、「INFJはエンパス」「忘れっぽいからSiが弱い」という動物占いのような話になってしまう。まあ動物占いもMBTIもストレングスファインダーも同じようなものかもしれないが、「私ペガサスだから気分屋なの。適職は芸術家」より多少マシな説明があるので聞いて欲しい。動物占いを回避するには、タイプの特徴ではなく、心理機能に着目する必要がある。何故か?心理機能には役割があり、どの役割で心理機能を使っているかわかれば、タイプもわかる。自分のタイプを考える際に重要なのは、ある機能の特徴が当てはまるかだけでなく、ペアになる機能についても考慮することである。そうしないと「人目を気にするのはE型?それともFe?」といったなぞなぞを延々と繰り返すことになる。

主機能、またはヒーローは最も自信があり自然に使用できる。ヒーローは傲慢で、自分の主張が受け入れられるのが当然だと思っている。認められないと、相手のタイプのせいにしてでも自分を正当化しようとする。何しろ世界を救っているつもりなので、それを阻まれては黙っていられない。この傲慢さを支援、もしくは誤魔化すためにペアレントがある。DV夫を庇う妻をイメージするとわかりやすい。ペアレントと対になるチャイルドは無垢で傷つきやすく、この機能を攻撃する人間は児童虐待の罪を犯していると言っても過言ではない。

劣等機能、またはアニマ・アニムスは不安が存在する場所である。なぜ不安を感じるのだろう?一説によると、精神的な痛みは、社会的な損害やエネルギーの無駄遣いに繋がる行動を、止めるように促す。自分の不安がどこにあるか突き止めるのが、タイプの特定には手っ取り早い。劣等機能は主機能とペアになり、相互に影響を与え合う。ジェームズ・ヒルマンはこの組み合わせをタロットの太陽と月に例えた。劣等機能は欠点や弱点というイメージがあるが、主機能を凌駕する創造性を発揮できる可能性もある。

この四つの機能はタイプの自我にある。前回も言ったように、心には四つの側面があり、ひとつの側面には四つの機能が配置される。自分を知るには、自我だけでなく、全ての側面を把握する必要がある。基本となるのは自我の四機能と、無意識(影)の四機能である。無意識にある機能は、自我にある機能と順番は同じだが内外が逆転する。

五番目の機能はネメシスと呼ばれる。ヒーローが攻撃ならネメシスは防御、と言うと戦隊ものっぽいが、この機能は異性に投影されやすく、劣等機能と間違われることがある。六番目の機能はクリティック。人の批判が存在する場所である。Fiクリティックは自分の道徳性に批判的で、無意識に善行を積もうとする。そうしないと自分が善良な人間だと感じられないためだが、その奉仕は必ずしも報われるとは限らないし、偽善的に思われることもある。そもそも人間が自分で思っているほど善人であることは滅多にない。

最後から二番目にトリックスターがある。人はこの機能を意識していないし、気づかないので怠惰になりやすい。私の部屋は控え目に言って散らかっているが、気にならないし床に落ちている物も目に入らない。最後の機能はデーモンと呼ばれ、腐敗の源となる。本当に「劣等」なのはこの機能かもしれない。ただし劣等機能が精神で重要な役割を果たすのと同様に、デーモンと向き合うことも成長の鍵となる。

このように心理機能は個性にもなるが、人間の認識を歪ませ、相互理解を阻む原因にもなる。まずはありのままの自分を認識した上で、心理機能をどのように発達させるか、あるいはどうやって違うタイプの人々と関わっていけばいいか、という点が問題になるだろう。しばらく基本的な話を続けなければならないが、飽きなければこの点について考えていくことになる。