今回は気質の違い第二弾として、抽象と具体の違いについて解説する。次の回で気質の違いを理解したら、インタラクション・スタイルの解説に移る。誰かのインタラクション・スタイルを特定すれば、自動的に12のタイプを排除したことになる。タイプグリッドで気質とインタラクション・スタイルの交差点を求めれば、自動的にタイプが分かる。この気質についても、三つの区分が存在する。
タイプグリッドを用いて、スタータータイプであり守護者のESFJか、バックグラウンドタイプかつ知識人のINTPであるかが一目でわかる。このシステムがあれば、テストを受ける必要はない。気質には嗜好、認識、意思決定の観点から、抽象と具体の違いがある。これは主に知覚に基づいた分類である。SJやSPは具体性、NFやNTは抽象性を好む。言い換えると、感覚型か直観型かの違いとなる。
では、具体性と抽象性をどのように区別するのだろうか?これは主に知覚の話である。世界の物事を「あるがまま」に見るのが具体性、「もしも」の観点から見るのが抽象性である。リンダ・ベルンによれば、抽象型は概念やパターンについて考えたり話したりするが、必要に応じて具体的な詳細を参照する。感覚的な細部は重要ではない。抽象を言い換えると、暗示である。これは何を暗示しているのか?これは直接的か間接的かの違いにもなる。情報提供型の人々は暗示的な言い回しを好むが、率直型の人々はそうではない。
つまり、ダイレクトは具体的なコミュニケーション方法であり、インフォマティブは抽象的なコミュニケーション方法と言える。ただし、これはインタラクション・スタイルに限った話である。認識においても具体と抽象がある。人間の相互作用や日常的な認識など、人間の認識は同じコインの表裏である。抽象性はシンボルと結びついている。シンボル、隠された意味、パターン、もしこうなったら何が起こるか?一般的に、抽象的な人々は可能性の話にオープンである。Niユーザーは「自分に何が起こるか」「自分にとって最善の道は何か」という観点で考え、Neユーザーは「その人は何を望んでいるのか」「私たちはどこへ向かうのか」という着眼点で考える。したがって、抽象化を行うには、これらの両方の視点が重要である。ある人が物事に対して抽象的ならば、もしもの話、可能性、たとえ話を多用し、シンボルや概念を重視する。または、アイデアや概念の意味するものを知りたがる。ベルン博士によると、抽象性にはある種の内省性もあるという。
彼らは常に物事の意味を知りたがる。抽象的な人々は、現実や常識を恣意的なものとして見なしている。そして何が最善のアイデアで、理想的な概念なのかを考え出そうとする。理想主義者は感情を基準としてそれを判断し、知識人は問題を解決するために理想的なシステムを求める。具体的な人々であるSJやSPにとって、重要なのは目の前にある現実である。彼らは水をコップに入れて飲む。具体的な人々は、それがプラスチック製のコップであることに気づく。中には水が何ミリリットルか入っていて、ある程度の重量がある。抽象的な人々は、「このコップにもしものことが起こったらどうしよう」と考える。何か細菌が繁殖していたり、熱くなって溶けてしまったら?コップに起こり得る様々な事態が脳裏を過ぎる。もし水をこぼしてしまったら?こぼさなかった場合には何が起こるだろうか?
人々は具体性と抽象性どちらの観点からも考えるので、この両者を区別するのは難しい。問題は、彼らが主にどちらの行動を取っているのかということである。これらは全てプライマリとセカンダリの問題であり、陰陽の均衡の話である。なぜなら、心理学のあらゆる側面、あらゆる要素は陰陽の均衡だからである。この陰陽の均衡によって、何が剛で、何が柔であるかが分かる。陽であっても二次的な陰の属性があり、陰であっても二次的な陽の属性がある。だから陰と陽のシンボルの中には、小さな点がある。だから何が主要な要素で、何が副次的な要素か理解する必要がある。
具体性をどのように定義すればいいかという話をすると、これは実際に何が起こったかという話である。実際に何が起こって、そこから何が証明できるか?目の前にある具体的なもの、人間が観察できるものが重要である。Seユーザーなら遠くから誰かが経験していることを観察し、Siユーザーなら自分の身に起こったことを観察する。これらの機能が上位にあれば感覚型、下位にあれば直観型となる。彼らはそれぞれ具体的な言語と抽象的な言語でコミュニケーションを行う。
具体的な人々は観察力がある。現実において何が真実であり、何が役に立つのか?一方、抽象的な人々が気にするのは「もしも」の可能性であり、無形のものである。具体は陽に焦点を当てており、抽象は陰に焦点を当てている。抽象的な人々が現実を恣意的なものと見なしているのと同様に、具体的な人々は可能性や無形の概念を恣意的なものだと思っている。最悪なことに、具体的な人々は地球上に70%もいる。具体的な人々は抽象的な人々の考え方を恣意的だと見なし、これらの人々の話を聞いたり、仕事を任せることを敬遠する。具体的な人々と抽象的な人々はお互いに敬遠し合い、家族や種族間の紛争が発生する。どちらかが過半数になると、偏見や衝突などの問題が生じる潜在的な可能性を認識しておくべきだろう。
直観型は若い頃、抽象的な概念を好むが、年を重ねるにつれて具体的なものを気にするようになる。感覚型はその逆である。若い頃は具体的なものを重視するが、後年になると抽象的な考え方もするようになる。だから40代50代になって離婚する人間が増えるのである。若い頃は服や食べ物のことばかり気にしているので、それを与えてくれる人間と結婚するが、そのうち他のタイプと相性がいいことに気づくようになる。彼らは社会的互換性という概念など知る由もないだろう。気づかないまま、たまたま服や食べ物を持っていただけの人間と添い遂げる人々もいる。いずれにせよ、人々は年を取ると共に、具体的または抽象的なものにオープンになる。
例えば、私は抽象的なので、具体的なスキルを得るにはトレーニングを受けなければならない。椅子が壊れて背中が痛いとか、マットレスにカビが生えて体調が悪くなるなど身をもって経験することで、生活環境を整えられるようになっていく。自我が抽象的なタイプであった場合、願望を持ち、潜在意識の中に入ることで、具体的なことに注意を払うようになる。逆に自我が具体的なタイプであっても、最終的には抽象的なものを探求するようになる。具体的な言語は、ありのまま、自分にとっての現実、記憶を表現する。記憶を得るためには、誰かと思い出を作らなければならない。抽象的な人々は写真や記憶媒体による思い出をあまり気にしない。彼らが気にするのは、潜在的にどんな思い出が作れるか、ということである。具体は全て運動エネルギーに関するものだが、抽象は全て位置エネルギーに関するものである。気質に関してはコンセプトがシンプルなので、多くを語る必要はないだろう。保護者と職人は具体的であり、理想主義者と知識人は抽象的である。
彼らの言語、物事をどのように認識するか、話す内容に注意を払うことである。彼らは「もしも」に焦点を当てているのか、「現状」に焦点を当てているのか?彼らが主にやっていることがどちらか分かれば、具体と抽象を判別できる。そして彼がSJかSPか、彼女はNTかNFか手がかりが得られる。これでインタラクション・スタイルで12タイプを排除した後、残ったタイプの更に2つを消去することができるだろう。
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