ところで、このブログのコンセプトは「複数の類型をひとつに纏める」ことである。この方向性に至ったのには色々な動機があるが、ひとつには「私はINTP、5w4、LIIでなんたらかんたら」という自認過剰な風習に嫌気が差したからである。プロフィールにあらゆる類型の自認タイプを羅列している人間をよく見かけるが、自認タイプが多くなるほど人物像がわからなくなるし、見ているだけで胸やけがしてくる。特にエニアグラムは酷い。
しかし複数の類型が必要なのは、ひとつの類型だけでは足りない要素があるからだろう。例えば相性論がそれである。ソシオニクスの需要はここにあるのだが、問題がいくつかある。まず理論が複雑で難しい。特にTeの人々は合間に金の話でも入れないと興味が続かないだろう。しかし本当の問題は、理論そのものが間違っていることにある。どう間違っているかは後で説明する。
相性を考える上で「真逆は惹きつけ合う」というキーワードがある。ソシオニクスではINTPとESFJがベスト・カップル、いわゆる双対関係とされるが、この「真逆」とは何を指して言っているのか。4つの指標のことだろう。IとE、NとS、TとF、PとJ。この指標が全て逆であることを、本当に「真逆は惹きつけ合う」としていいのだろうか。指標を基準とするなら、ソシオニクスの双対は「真逆」ではない。
勘の良い方ならお気づきだろうが、心理機能を基準とすれば「真逆」は複数存在するのである。ダリオ・ナルディは「本当に真逆なのはTiとFiである」と言っている。まあ定義はともかくイメージの問題として、「TiとFiが揃って完全になる」と言われてもぴんとこないかもしれない。
しかし、ここで次の疑問が生まれる。専門家によって矛盾する見解をどう解釈すればいいのか?例えば、タイプ関係ではSとNが一致していることが重要だとか、同じ機能の外向と内向違いは理解しにくいという話がある。
このような混乱が発生するのは、「関係」を単一のカテゴリで考えるせいである。つまり、「真逆」が複数存在するように、「関係」も複数存在すると考えればいい。友情、恋愛、仕事において理想的な関係はそれぞれ違うし、相性の良いタイプも違う。だからタイプ関係を考える際は、それがどんな関係なのかということも併せて考えなければならない。
「なにごとでも人びとからしてもらいたいことは、すべてそのとおり人びとにもしてあげなさい」という教えがある。これを黄金律とも呼ぶ。しかしご存知のように、これを言葉の通りに実行しても上手く行かない。自分がして欲しいことを、必ずしも相手はして欲しいとは思わないのである。
この「して欲しいこと」の解釈こそソシオニクスが犯した間違いである。普通に考えればわかることだが、人間関係では「やって欲しい人」と「やってあげたい人」がいるのである。「利用する人」と「利用される人」と言ってもいい。以前SJとSPの話でも触れたが、「経験したい人」と「経験させたい人」の方が「経験させたい人」同士よりも相性が良いに決まっている。
外向機能はお互いに意識が相手に向いていて、内向機能はお互いに意識が自分に向いている。簡単に言うと、内向機能がソースで、外向機能はそれを消費する。だからTiとTe、FiとFe、SiとSe、NiとNe同士が補い合うことになる。同じ機能の外向と内向違いも、また「真逆」の機能と言えるだろう。「認知的シンクロニシティ」とは、この機能同士の相互作用を指す。タイプ関係を考える上では、まずこの概念が基本となる。
ソシオニクスで間違っている点がもうひとつある。ソシオニクスの双対関係は同じ機能同士で支援し合い、自分の弱い機能を支援してもらうことで「生きやすくなった!ありがとう♡」とお互いの満足度が高まる理想的な関係かのように説明されているが、これは真っ赤な嘘である。端的に言うと、「双対関係がベスト・カップル」は間違っている。この関係について取り上げるのは大分先になるだろうが、自分の潜在意識を自我に持つ相手とは衝突が起こる。
そういうわけで、今後は各心理機能がどのように作用するかを説明した上で、恋愛、仕事、親子関係などで各タイプがどのように交流するのか見ていくことになる。全ての基本になるのは心理機能同士の反応である、認知的シンクロニシティである。今回は話を詰め込み過ぎたかもしれない。詰め込んだ割りに文字数には反映されていないが、ひとつの記事に時間をかけ過ぎている気がするので、取り敢えず公開して後で加筆する。
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