前回に至るまでインタラクション・スタイルの半数を紹介した。イン・チャージとスターター、彼らは外向型という共通点があるが、そのスタイルは異なる。前者は群れの統率者、後者は群れの勧誘員である。今回からは後半戦、内向型の人々がどのようにコミュニケーションするかを紹介する。まずはISTJ, ISTP, INTJ, INFJの出番である。彼らは「フィニッシャー」と呼ばれるグループに属する。別名を「チャート・ザ・コース」とも言う。

スターターが物事を終わらせられないのとは対照的に、フィニッシャーは物事を始められない。彼らは結果に至るまでの道筋を見通せていないと、動き出せないのである。それがどのように表れるかはタイプによって違う。例えばINTJは非効率なシステムを「改善」しようとするが、彼らがシステムを改善するために、誰かがシステムを作っておく必要がある。INTJと言えば、彼らはINTPのように見えることが多いが、これには理由がある。が、この話は別の機会にすることになるだろう。

ISTJは様々な知識を集める。それは主に過去に起こった歴史、前例、習慣、ルールなどである。それらの「権威」による保証がなければ、前進することができない。前者二つのタイプと比較して、ISTPは衝動的に動いているように見えるだろう。実は彼らは考えている。突然、動き出したように見えても、頭の中では効率的に作業を実行する手法について、思索を巡らせているのである。このグループの中では最も頭を使っているタイプと言ってもいい。しかし、その思考過程が余人に明かされることは滅多にない。

そしてINFJである。「人の気持ちがわかりすぎて自分の気持ちがわからないの~」という設定がお気に入りのようだが、図々しいにも程がある。彼らが行動に移る場合、その図々しさが原動力になっている。「人類の未来のため」というお題目さえあれば、何者も彼らを止めることはできない。動き出した後は、「人の気持ち」という些末な事柄など忘却の彼方である。

フィニッシャーの特性はダイレクト・レスポンド・ムーブメントである。イン・チャージ同様に、彼らは率直に要点のみ話すことを好む。典型的なのが私の友人にいるが、彼女には「話題を提供する」という発想がない。彼らは詳しいエピソードや周辺情報、結論に至った理由を説明しない。自分が言いたいことだけ言い、会話に空白が生じると不思議そうな顔をする。彼らは無意識や潜在意識のタイプに移行することもあるが、それは一時的なものであり、フィニッシャー本来のスタイルではない。

彼らとコミュニケーションする際に注意しなければならない点がある。彼らはダイレクトなので率直に話したい人々ではあるのだが、同時に内向型でもあるので、率先して話を切り出すことはできない。不満に思うことがあっても、自分から主張したくはないのである。「はっきり話したい」という彼らの言葉を真に受けて常に本音を言っていると思い込むと、SNSに「率直な」悪口を書きこまれることになる。イン・チャージの「はっきり言え」は「自分に同意しろ」という意味だが、フィニッシャーが言う場合は「私がはっきり言う機会を与えろ」という意味である。アクティブリスニングを最も必要とする人々であろう。彼らには定期的に本音を言わせる機会を提供しなければならない。要するに介護である。介護要員として適任なのは外向型の人々なのだが、彼らは彼らで自分の活動をアピールしたり人に命令することに夢中になっている。

ここで外向と内向の違いについて、改めて触れておかなければならない。いわゆる「外向」と「内向」を指す概念はいくつかあるが、意味している内容はそれぞれ違う。外向性とは、社交性のことではない。必要とあらば、INTJですら社交的になることはできる。社交性とは、人間関係を築いたり、人と交流することに抵抗が少ないことを意味する。ちなみに、社交的な人間が内気な振る舞いをすると気分が悪くなるが、逆は該当しない。タイプ論的に言うと、劣等機能が発達して対人関係に不安が少なくなると、どのタイプも社交的になる。ここに両向性なる概念が加わると、さらに判別は難しくなる。根本的な違いは、自分が人に話しかけられて反応することを好むなら内向、そうでないなら外向である。

私は「質問するのが上手い」と言われたことがある。最近は質問するより答える方が多いが、おそらくフィニッシャーは私に質問されるのが嬉しいに違いない。同じ内向型でもバックグラウンドタイプは情報提供をしようとするが、フィニッシャーの人々は誰かに機会を与えられない限り、自己開示ができないのである。そして、自分にその機会を与えようとしない、あるいは積極的な自己開示を強いる周囲の人々に恨みを抱く。多くの場合、その恨みは仕事や趣味にぶつけることで昇華される。

しかし、である。ここに落とし穴が潜んでいる。仕事で何らかの成果を挙げたり、昇進を果たしたとしても、その喜びは長続きしない。何故か?私たちの感情は、「幸福」にも「絶望」にも慣れてしまうからである。このため、さらなる成功、さらなる達成を求めて努力するが、それによって満足度が高まることはない。ところで、ユングの患者には社会的な成功者が多かった。彼らには金や地位を獲得する能力はあったが、それが自分にとって「意味」のないことに気づいてしまったのである。

インタラクション・スタイルの最後の特性はムーブメントである。フィニッシャーの人々は物事が動いていることを重視する。彼らが計画を立てるのは滞りなく物事を進行させるためで、自分が他人のシステムに組み込まれることは嫌う。特に彼らが重視している活動に関わっている場合、どんな犠牲を払ってでも前進しようとする。何らかのアクシデントが起こって動きが止まることを余儀なくされたり、それ以上の進展が見込めないことがわかると、彼らはその活動から撤退する。最悪の場合、活動に関わった人間や組織を潰そうとする。フィニッシャーは物事が停滞していること、進歩のないこと、その物事に自分が関わっていることに耐えられないのである。そして進歩を阻む人間を非難し、さっさと別の活動に移行するか、過去の汚点を抹消しようとする。「フィニッシャー」だけに、蹴りをつけたいのである。それは人間関係にも適用される。相手からすると、「用済みになったからお払い箱にされた」と感じるが、彼らはどこ吹く風である。

前回、混沌と秩序の話をしたが、フィニッシャーの人々は混沌の中にあっても、動いていれば満足してしまうことがある。コントロールタイプから見ると脈絡のない動き、結果に繋がらない活動、限度を超えた過活動に没頭し、それを同僚や部下、場合によっては上司にも強いる。しかし、コントロールタイプは秩序的に行動したいのである。フィニッシャーがコントロールタイプと関わる場合、彼らは保守的だったり臆病なわけではなく、結果に至るまでの段階をコントロールしたいことを覚えておく必要がある。そして自分が関わる活動は、自分にとって「意味」のあることなのか、考えてみるべきだろう。

今回はフィニッシャーの人々について解説した。彼らは他人に主導されることで率直な話をすることを好み、他人の仕事を完了させることを好む、他人ありきの人々である。とはいえ、どのタイプも他人なくして活動することはできない。全てのインタラクション・スタイルについて知ることで、各タイプとどのようにコミュニケーションを取ればいいかわかるだろう。次回はバックグラウンドタイプについて取り上げる。インタラクション・スタイルの最終回である。