今回は4つの気質のうちのひとつ、理想主義者たちについて解説する。彼らはNT同様、イノベーターとして知られる人々である。NFたちは社会変革を目指して日夜努力している。

社会変化の指導者として好例はガンジーである。あるいはイエス・キリスト、マーティン・ルーサー・キングもいる。彼らは皆INFJである。他のNFたちは何をしているのだろう。我々が理想主義者の意見に耳を傾け、彼らが文化推進の役割を担えば、得られるものは沢山ある。問題は、社会が往々にしてそのようなメッセージを望んでいないことである。2023年の変更管理に関する統計によると、変化への取り組みで成功するのは34%である。NFたちの理想は、SJの抵抗の前に虚しく散るのである。

理想主義者たちはNFPとNFJに大別される。NFPは人々の信念体系が再構築される方法でアイデアを提唱したり、理想的な物語をこしらえたりすることが得意である。彼らは営業や財務にも優れている。彼らはより良い明日、より良い生活、より良いビジネスのメッセンジャーとして機能する。NFPたちが何かを売りつけようとしている時や、社会変革に取り組んでいる時、何が真実かは気にしていない。彼らは人々の信念を別のものに変えなければならないが、その信念が真実か否かに責任を取る気はなく、彼らにとって何の意味もない。NFPたちが信じる大義に都合が良ければ、それでいいのである。

NFPは変化の源、変化の創造者として機能するが、NFJは変化の実行者である。その変化の核となるアイデアやビジョンを実行し、社会で実現する役目を担っている。それはミクロレベルの場合もあれば、マクロレベルの場合もある。組織、コミュニティ、教会、どこでもいい。ENFJは特に政治に深く関与する。大学の教授になることもある。

自我がNFJである人は、無意識にNFPの影を持つ。逆に、NFPはNFJの影を持っている。NFたちは心の中にNFPとNFJの側面を持っているため、ビジョンの源泉となることも、変化を実行する担い手となることもできる。ただし、NFPが変化を実行するには多くの精神エネルギーを要するし、NFJがビジョンを設計したりデザインするにも、同じくらいエネルギーを要するだろう。

歴史上でこれらの人物たちは、精神分野から社会的相互作用、人権、フェミニズムなどの分野で、人々の見方を変えるために涙ぐましい努力をしてきた。何故か?ひとつの理由は、SJやNTと違うフィールドを作る為である。さらに言うなら、4つの気質をピラミッドに見立てることができる。ピラミッドの基盤には、人口の40%を占めるSJたちが鎮座している。次の層を構成するのは、人口の30%存在するSPである。その上には、テクノロジーを提供し、システムベースで変化を促進するNTがいる。ピラミッドの頂点に座すのはNFである。彼らは人々の苦しみを、人道的に認識している。

NFたちは非常に人間志向で、「ヒューマニズム」という言葉が大好物である。NFJは人々のことを気にかけるあまり、しばしば玄関マットに成り下がるほど自己犠牲的である。理想主義者たちは互いに良い関係を持ちたいと思っている。人々を苦しみから救い、より良い人生を設計し、変化のビジョンを構築したいためである。

これは彼らが有意義な人生を送るために不可欠の要素である。NTが知力を振るってシステムに変化をもたらすことを生きがいとするように、そのようなチームプリズムがあることで、理想主義者は生きていると感じられる。SJやSPも同様に、全員が集まると提供できる経験は似たようなものになる。SJはSPと共にいることを好む。NFはNFと、NTはNTと居ることを好む。これが感覚型と直観型の違いである。

しかしNFたちは帰属意識に拘るあまり、自分のダルマを見落とす危険性がある。ダルマとは、サンスクリット語で「道」「教え」「法」など様々な意味を持つが、ここでは「神聖な義務」を指す。NFたちが自己実現を果たすためには、ダルマを果たし、完全に体現する必要がある。このダルマに従い続けることは、疑い、恐怖、絶望を伴う。多くの人々は、他人が自分をどう思うか気にするあまり、自発的な奴隷になるからである。だから自分のダルマを否定する。しかし、ダルマを否定すれば、それはあなたを破滅させるだろう。それに従うことが怖ければ怖いほど、天職であるサインと言える。これに従えるかどうかが、優れた人間と自発的な奴隷を区別する。類型風に言えば、「タイプとしての才能を発揮して生きている人」と、「タイプが分かっただけの人」である。

ENFJ、ENFP、INFJ、INFPは非常に人間社会を志向している。彼らは活動家であり、財団を作る人々である。人々を助けるには集金活動が必須なので、彼らは財務にも長けている。NFは看護職や聖職者にも多い。通常、人々を守るためのソーシャルワークはSFJの仕事だが、NFたちの真の目的は目先の人間のお世話をすることではない。彼らは全員にとって素晴らしい世界を築き上げないと、心から満足することができない。

例えば、教会の連合体を作ろうとして、教区民を巡って教会が争っているとする。教会はカルト宗教に読み替えてもいい。そこに主人公ENFJが立ち上がり、独自の教会連合を設立する。この壮大な組織を運営していくために、ENFJは狂ったように資金繰りをして、コミュニティ内に病院まで開設するだろう。するとコミュニティ内に多くの雇用が発生し、新たな教区民たちがこぞってコミュニティに移住してくる。最終的に、教会が教区民を巡って競争することはなくなり、地域社会全体に利益をもたらすようになるだろう。教会に寄付されたお金はコミュニティに還元される。全てはENFJの力である。

これができるのはENFJだけではない。INFPは子供たちが高い教育を受け、必要な学位を得て、何かを作れるように奨学金を集め、低所得層でも教育を受けられるように活動する。INFJもボランティアが大好きである。ホームレス保護施設に行けば、彼らに出会えるだろう。少数派である彼らが類型界隈に大勢いるのは、そういう次第である。ただし、理想主義者が人間的に優れているわけではない。彼らはそういう気質というだけの話である。NFたちと関わる時は、何が彼らを動機づけるか理解しておかなければならない。全ては社会の変化と、より良い世界の為である。現実を全ての人々にとって良いものにし、将来を素晴らしいものにするために、彼らは存在している。彼らはシステムではなく、人間が第一である。NTが人よりもシステムを重視するのとは対照的と言えよう。

知ってのように、私は類型論および深層心理学のシステムを熟知している。このシステムは人々に利用することができる。最終的に、他の人々を助けるという目標に到達する点では同じである。どのような気質であっても、異なる気質の人々と同じ結論に達したり、同じ目標に到達することは問題なく出来る。それを違うベクトルから行っているだけである。NFたちの気分が良くなったところで、今回は終了する。