今回は皆が大好き、NT気質を解説する。このシリーズではタイプ判定するために気質とインタラクション・スタイルを紹介しているが、これについて説明すべきことはまだあるので、後ほど新たなシリーズを開始する。例えば、気質に関する理論家はカーシー、モントゴメリー、ベルンがいる。また、タイプグリッドの詳細やMBTIとの関係も取り上げねばならないだろう。
プラトンは彼らを「思想家」と呼んだが、これは正しいラベルではないだろう。例えば、一部の理想主義者や職人はTiユーザーであり、自分の考えを思索する。Teユーザーも何かは考えているが、彼らは自分が気に入ったデータや思考を採用して、合理的思考を行う。NFやSPにも論理的思考を働かせる人々はおり、彼らは「考える人」である。そういうわけで、「知的」な気質を表現するのに、知識人という言葉を使うことにする。
NTは未来的な知識人である。INTP、ENTP、INTJ、ENTJが該当する。NTは論理性や理屈を重視するが、それは常に未来を意識した上でのことである。彼らは将来的に起こり得ること、「もしも」に焦点を当てている。これから何が起こるか可能性を認識し、それに基づいて思考を処理することでイノベーションが生まれる。
理想主義者は社会を革新しようとし、職人は機械的認識によって物理的世界に革新をもたらす。この機械的な認識と理論を組み合わせると、NTJが発生する。NTPの場合は、「このテクノロジーを使って人類はどこへ向かっているのか」と本質に迫ろうとする。
NTはSPやSJと異なる気質である。守護者と職人は非常に相性が良いが、知識人はそうでもない。SPたちは上位二つの心理機能に外向的感覚を持っている。同様に、SJたちは上位二つの心理機能に内向的感覚を持っている。しかしNTたちはSeユーザーである場合もあれば、Siユーザーである場合もある。知識人になる条件は、上位二つの心理機能に外向的直観か内向的直観を持つことである。SJは内向的感覚、SPは外向的感覚を自我の上位に持たないとタイプを名乗る資格はないが、NTになる条件は緩い。このルールはNFにも当てはまる。彼らは物理的環境、または形而上的環境を直観する人々である。
NT気質の特徴は、彼らの無意識である影も全て知識人となることにある。つまり、自我もNT、影もNTである。NTたちは未来志向で、「何が可能か」に焦点を当てることは共通しているが、INTJとENTJは「自分が望むもの」を中心として物事を考える。INTPとENTPは「人々が何を望み、集合的に何ができるか」を意識している。これがNTJとNTPの違いである。
NTJは統計を重視し、組織的に金を稼ぐことを考える。NTにとって重要なのは、変化をもたらすことである。理想主義者も社会を変化させたいと思っているが、知識人は組織的で体系的な変化を好む。彼らは常に「もしも」を意識しているので、改革を始めるとシステム上で可能なことの限界をテストする。知識人がいなかったら、人類は大きな挫折を味わうことになっただろう。彼らは体系的なシステム指向のテクノロジーを求めている。NTはソーシャルメディアが大好きである。マーク・ザッカーバーグ、スティーブ・ジョブズ、イーロン・マスクはNTである。彼らはガンジーのような理想主義者ではない。
NTは全てイノベーションに意識を集中しており、プロセス主導、テクノロジー主導の観点から主体的に変化を起こす。常に限界に挑戦し、ルールに挑戦し、「もしも」に賭ける。もしこれを実現出来たらどうなるか?自分は何を達成できるか?それ以外のことは全て些事である。SPもこれを行うことはできるが、彼らは現実に基づいている。既に存在している現実を変える。NTは以前に存在しなかった概念を作り出す。
NTが好む分野は、人類の現実理解を高める知的領域である。職人は現実に存在するものを変更・操作するにとどまり、何かを追加することはない。建築家が建設する建物の全体像を設計し、職人はそれに従って立派な建物を作り上げる。これがSPとNTの役割の違いである。こう言うとSP、特にISTPやESTPは反論するだろう。自分たちも現実を変えることはできると。しかしSeヒーローやSeペアレントは、自分が望むものを知るために他人がしていることを追跡するのに忙しい。私のようなNTPは、私がしていることを他人がやりたいと思う、あるいは他人が望んでいることを自分が経験してみることで変化をもたらす。
私がENTJだったら、他人が既にやっていることを見て、次に何をするか考え出すというSPスタイルに似ていただろう。NTJは他の人々がやっていることに、新しいアプローチで取り組む。ヘンリー・フォードが車を大量生産したのは、NTJ式アプローチによる革新である。
知識人たちは珍しいタイプである。珍しいので、「NT病」という病気に喩えられることがある。守護者は40%、職人は30%で感覚型が70%を占める。少なくとも、これが一般的な設定である。SPはNTと一緒に居たいと思って付いてくるか、NTのようになりたいか、自分の方が優れていると考えることもある。SPとNTは競合する機会があるが、いくつかの分野では勝ち、いくつかの分野では負ける。
特定のタイプや気質が他より優れているというわけではない。ただ、「多数派とは違う」という権利は誰にでもある。しかし「皆と同じ」でないと変人だと思われて虐められてしまうので、S型に偽装するのに必死になるあまり、ただの「存在感のない人」になってしまうケースが多い。S型の数が少なければ、彼らを良いとは思わないだろう。
逆に人口の70%がNTだったら、人類は滅亡するだろう。イノベーションとは、それを起こす人間がついてくる人間より少ないから成立するのである。誰かが家を建てたり、安全を守ったり、食料を調達して来なければならない。SPが物を作ったり構築し、SJがそれを守る。作るのも守るのも一人ではできないので、神はS型を多くお創りになられたというのがスカイフック的な考え、自然淘汰によって分布が定まったとするのがクレーン的な考えである。
気質がこのように分布しているのは、我々の種族が存続するためである。人類の集合的無意識は、地球が提供する過酷な環境に適応したのである。種族として生き残る為には、気質のバランスが取れている必要がある。しかし、そうとは知らないSJやSPがNTを自閉症扱いする問題が多発している。特にINTJは自閉症や発達障害と診断される確率が高い。彼らは発達障害とINTJの区別がついていない。人々の偏見がいかに愚かで、人間がどれほど無知であるか、嘆かわしい限りである。
人々、特に医療分野において、認知や健康に対する偏見が原因で、謂れのない非難や誤診を受けているという認識を高めなければならない。結果として、人間は自分の本質や魂に背くことになる。相手を判定してタイプを知るには気質を理解しなければならないが、それは表面的な効用であり、本来の意義はもっと深いところにある。
NTとは人々を次の世界に導くために、物事を組織的、または系統的に変えようとする人々である。彼らは未来、革新、もしも、何が可能で何が起こるかを考える。知識人たちは文明の最先端にいようとする。彼らが自閉症や発達障害ではないことを理解して、力を発揮させてやって欲しい。
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