美徳と悪徳シリーズは今回から内向型に入る。今回はSJ気質のフィニッシャータイプ、ISTJの美徳と悪徳を取り上げる。彼らは過去に焦点を当てた義務的な保護者であり、伝統主義に直接的に反応し、行動する。
ISTJの美徳と悪徳は知恵と無知、と言いたいところだが、そうではない。彼らは歩くウィキペディアの如く、出典を全て収集し、それらを全て覚えているアレクサンドリア図書館になる。彼らはあらゆる引用を追跡しているため、学術界のパターンを理解し、その周期性を把握することができる。アレクサンドリア図書館のおかげで、将来の結果を予測することが可能になる。これは彼らの美徳に結びついている。ISTJの美徳は客観性である。彼らは自分が他者の客観性を保つ基準だと認識しているため、客観的であるために努力する。特に学校に通っている時、客観的であるということは出典を的確に引用すること、参考文献を完璧に揃えておくこと、所定の形式に従うことを意味する。
そのプロセスを忠実に実行したうえで、彼らはそれについて非常に客観的である。物事に対して客観的な人、プロセスの実行や作成に従事する人間が必要な場合、ISTJが有効な選択肢となる。ISTJは数字に強く、優れた会計士になる。彼らは前例となる過去の判例から出典を全て収集し、議論に適用できるため、弁護士としても優れている。ISTJは客観性を保つため、引用文に自分の見解を入れないように全力を尽くしている。
ISTJはFeトリックスターとして生きているため、社会的認識が欠如している。このため、自分が他者より客観的でいられると信じている。彼らが気にしているのは、自分がどう感じるかである。データを見て気分が良くなったとしても、彼らはTiクリティックで真実を検証しなければならず、それによって更に客観的になる。Tiクリティックは真実を要求しており、INTJと同様に、それが必要である。ISTJが次々と事実を検証することによって、驚くべき客観性を維持することができる。彼らはその客観性を口実に、他者より発言したり、特定の主題について意見を持ったりする余地が遥かに多いと信じている。「私はあなたより客観的なので、私の意見はあなたの意見より有効です」ということである。現実では必ずしもそうとは限らないが、特に若いISTJはそのような自己認識を持っている。
それが彼らの悪徳にどのように影響するのか?ISTJが客観的になりすぎると、彼らは客観性を神と盲信する。この客観性への崇拝はアドバイスに繋がるが、これは揚げ足取りである。ISTJが扱っている情報が無意味で関連性がなくても、非常識な揚げ足取りになる可能性がある。彼らはゴミに等しい大量のデータを収集するが、人々がそのゴミに対して客観的であることを期待する。そのゴミには何の意味もないのに、である。
この例として、何かを達成するのに役立つわけでもない学位を取得することが挙げられる。例えば、芸術の学位を取得する。それでキャリアを築くわけでもないのに、学位を取得することに意味を見出してしまうことが往々にしてある。引用できる出典が増えることで気分が良くなってしまうのである。問題は、彼らが快適に感じていることや気分が求めている客観性が適切でないため、最終的につまらない人間になってしまうことにある。学校教師が重要ではないテーマについて、子供たちに教えるのに似ている。ISTJはアレクサンドリア図書館で、これに似たことをしようとする。例えば、そこに携帯小説が所蔵されていたとする。携帯小説は読みやすく、気晴らしにはいいが、有益ではない。ISTJは多くの本が揃っているアレクサンドリア図書館で、携帯小説を読みふけるタイプである。つまり、彼らは特定の重要事項に集中することを苦手とする。彼らはFeトリックスターのせいで社会的認識が欠如しており、自分に客観性をもたらしてくれるものに誇りを持っている。これが裏目に出て、揚げ足取りに陥る可能性がある。
本質的に価値のある主題に焦点を当てる方が賢明であることを、ISTJが理解することが重要である。他人にとって価値があり、正しいアイデアを提唱すること。潜在意識ENFPは他の人々の思考を導くために適切なアイデアを提唱し、その核となる内なる哲学を発展させて、それを社会変革の目的で他の人々に伝えようとする。人は常に自分の潜在意識になろうとしている。問題はISTJが「これをやる気分ではない」と怠惰なループに嵌ってしまうことである。時間をかけてノンフィクションを読むよりも、携帯小説を読んでいる方が気分が良くて快適なのである。
ノンフィクションは美徳に近づき、携帯小説は悪徳に近づく。ISTJは携帯小説モードからぬけ出せなくなる。彼らがつまらないことに拘るのは、それが彼らにとって快適だからである。彼らは享楽的な傾向を持っている。あるいは自分の美徳ばかりを重視し、常にノンフィクションの記事や定期刊行物を読んでいるため、新しいことを学べないISTJも存在する。
あなたがISTJと関係を持っていて、ISTJが悪徳に染まってしまったとする。やるべきことは、第一に彼らを不快にさせることである。ISTJは携帯小説を読んでいるが、今ここに解決すべき問題がある。問題解決に役立つことを研究する必要があり、携帯小説を読んでいる場合ではない。彼らは時間を無駄にしており、自分のアレクサンドリア図書館を無駄にしている。この図書館が役立つアイデアや著書で満たされていれば、実際に社会を前進させるのに役立つ可能性がある。しかしISTJは快適でなければならず、気分が良くなければならない。そして快楽主義を維持しなければならない。これは目的を達成する障害となる。人類を前進させるのではなく、後退させるだけである。ISTJは適切な出典と参考文献を集めて研究を進める代わりに、些事に拘って時間を無駄にする。
したがって、彼らの悪徳を改善するためにはISTJを不快にさせなければならない。彼らに嫌な思いをさせ、時間を無駄にしている自分はダメ人間だと思わせる。彼らの価値に疑問を投げかけ、人間性を問う。ついでに彼らのTiクリティックにも注目するといい。「携帯小説にそんなに時間を費やすよりも、客観的になろうと努めるべきだ」と主張する必要がある。
ISTJがどれだけの時間を携帯小説に割いているのか、合理的に提示する。客観性と些事に費やしている時間の割合が一目でわかるように、グラフを作ってもいい。それを見せられれば、自分自身に嫌悪感を抱くだろう。これは彼らが問題から立ち直り、役立つようになり始めるために動機づける方法のひとつである。さらに、あなたは彼らに苦痛を与えなければならない。
そのためには、文字通り彼らの全ての行動を記録し、統計的に図示する必要がある。ISTJは自分たちが人生で上手くいかないことを疑問に思っている。目を覚ますと40歳で、過去25年間は自分の快適ゾーンから出たことがなかったことに気づく。これは勿体ないことである。ISTJは全ての出典を収集し、未来を予測し、それを人々に知らせて、社会を前向きに変えるために他人のアイデアを主導することで、世界をより良い方向に変革することができる。
しかしISTJは重要なテーマを勉強する代わりに、携帯小説を読むのに忙しく、他の人々を助けるどころか助けられる有様である。不道徳に時間を過ごしているのに、道徳の羅針盤もクソもない。目を覚まして、悪徳からぬけ出し、美徳を身につける必要がある。未来を守り、より良い明日を過ごすためには、他者の考えを導く手助けをしなければならない。人間は愚かである。愚かさを改善するには、正しいことを勉強し、正しい考えを正しい頭に入れるしかない。ISTJはそれをやり遂げられるタイプである。
彼らが客観性を保つことは、ISTJや彼らに近い人々の人生にとって、非常に重要である。その調査官となり、真実を調べ、それを人々にもたらすことが彼らの目的である。自分の美徳を保つことこそが、社会として個人として大切なことである。揚げ足取りからは距離を置き、些末な問題に客観性を発揮しようとしなくていい。自尊心を持ち、携帯小説ではなく真実に焦点を当てる。本質や必要なものに集中しなければならない。
コメントを残す