今回は「内向的感覚はどのように痛みに対処するのか」という議題について検討する。より正確に言うならば、楽観的なSiと悲観的なSiはどのように痛みに対処するのか、である。
一般的に「痛みに弱い」というイメージで浮かぶのは劣等Siであろう。彼らがいかに軟弱で、どれほど無力であるかを皆の前で暴露すると、彼らを怒らせることができる。Seデーモンに顔面パンチをお見舞いされたくない限り、そんなことをする必要はないが。特にENFPは最悪である。
劣等Siは子供の頃は痛みに過敏で、大騒ぎするので悪い子だと思われるが、成長するにつれて強くなり、痛みやストレスを負うようになる。子供は学校教育で良い成績を取るようにプレッシャーをかけられるが、学校は服従訓練に過ぎず、その訓練を修了した暁には、就職して残りの人生を社会の犬として過ごし、政府に税金を納めて次世代の犬を生産することだけを期待される。
したがって、この社会で実際に幸福を達成することは困難である。私の目的のひとつは、究極的には社会を変えることである。ひとりでも多くの人が社会の犬をやめる役割を果たしたいと思っており、そのためのコミュニティも将来的に作る予定である。私は他人の痛みを引き受けることはできないが、痛みに気づかせることはできる。彼らはただ生き延びようとしているだけで、誰も繁栄していない。
劣等Siは弱さを責められ、痛みや苦痛を回避する傾向にある。しかし彼らが自ら痛みを求めるようになった時こそ、本当の人生の始まりである。悲観的なSiは徐々に痛みに慣れて、対処できるようになる。特に年を取ると、そうである。楽観的なSiは若い頃は痛みに対処できるが、年を取るにつれて耐えられなくなってくる。年齢に応じて、立場が逆転するのである。
このようなパターンは色々な場面で多く見られる。人が心の他の側面を発達させるには時間がかかる。私のESFJ潜在意識が発達すると、悲観的なSiペアレントが過去の痛みを思い出すので、その痛みを避けるようになる。逆にENTPの潜在意識ISFJは多くの痛みに耐えられるようになる。楽観的なSiも悲観的なSiも痛みに対処できるが、それは人生のどの地点にいるかに依存する。ESTJ、ESFJ、ENTP、ENFPは年を取るほど痛みを許容できるが、ISFJ、ISTJ、INTP、INFPは痛みを我慢できなくなってくる。
例えば、妻に殴られているINTPがいたとする。最初はしばらく耐えることができるが、年を取るにつれてもう耐えられなくなるだろう。誰であっても耐えるべきではないが、このような境遇にあるINTPは痛みに過剰反応するようになる。ずっと殴られてきた犬を撫でようとすると、自分が殴られると思い込み、人間を憎んで離れようとするのと同じである。
楽観的なSiは年を取るほど虐待に耐えられなくなり、悲観的なSiは年を取るほど耐えられるようになる。これがSiユーザーに起こる現実である。私は「痛みを与えるならSiユーザーの年齢に応じてターゲットを選べ」と言いたいわけではないが、何かの参考にして欲しい。
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