前回の投稿では、認知的シンクロニシティがどのようなものか概説した。今回からは、各機能がどのように互換性を持つか説明していく。このシリーズに関して言いたいことはあまりないので手短に済ませるが、今回は感覚機能である。感覚機能には外向的感覚(Se)と内向的感覚(Si)がある。多くの人々は外向機能と内向機能が、人の心に作用する二つの認知スペクトルであることをわかっていない。実際には、この二つは互いに上手くシンクロすることができる。しかし、SiとSeの話をする前に、心理機能の軸について思い出してもらいたい。
外向的感覚は常に内向的直観とリンクしており、内向的感覚は常に外向的直観とリンクしている。前者は「他の人たちが何をしているか見ると、自分のやりたいことがわかる」「自分がやりたいことがわかったので、他の人たちに経験させたい」、後者は「他の人たちがして欲しいことを知りたい」「私がやっていることを他の人たちにもやらせたい」という機能である。これらの機能の組み合わせについては何度も言及しているが、外向的感覚と内向的感覚はどのように関係しているのだろうか?という点がこの記事の焦点である。同じ機能の外向内向違いは、タイプ関係の基本的なメカニズムとして相互に作用する。これを「認知的シンクロニシティ」と言う。
内向的感覚は常にソースである。感覚だけでなく、内向的な心理機能は常にソースの役割を果たす。そして外向的な機能は常にソースを探している。Siは自分が経験していることを認識し、Seはその経験を求めている。つまり、SeがSiを消費する関係である。これは逆方向にも成立する。
基本的な仕組みとして、SiはSeによって消費される。内向的感覚は、それがどんな味なのか、どんな経験なのか知っている。一方で、外向的感覚は存在するあらゆる経験を味わおうとする。自分が経験するだけでなく、他の人々にも与えたい。あらゆる経験を消費し、他の人に与えようとするのがSeの働きである。例えば、ここにESTJとISTPがいる。ISTPのSeペアレントがESTJのSiペアレントを消費するため、この関係は良いものである。これがSiトリックスターやSiデーモンではそうもいかない。外向的感覚は忠誠心を求めている。そして内向的感覚とは、義務や忠誠心の源である。SeユーザーがSiユーザーに経験を与えようとするのは、Siユーザーが忠実になることを期待しているためである。この例では、ESTJのSiがISTPのSeから経験を与えられることになる。
Seユーザーは経験を他人の魂に刻み付ける。Seユーザーに与えられた経験が楽しかったり、美味しかったりすると、Siユーザーはまた同じ経験を繰り返したいと思う。そしてSeユーザーに対して忠誠心が芽生え、犬のように忠実で、従順になるのである。どんな経験を好むかは個人によって違う。良い経験を与えられれば、感覚そのものが変化することもある。ISTPが与えるポジティブで快適な経験によって、ESTJは忠実になる。この忠誠心によってISTPは満足する。持ちつ持たれつである。この原則は寝室でも適用される。SeユーザーはSiユーザーに究極の体験を提供したいと思っている。
内向的感覚は与えられた経験を味わい、楽しみ、それを取り込む。SiとSeの互換性はこのように機能する。外向的感覚は常に内向的感覚を消費しようとしたり、経験を与えようとしている。それが内向的感覚に忠誠心を生み出し、恩返しをする義務が発生する。ところで、なぜ伝統が生まれるのか考えたことはあるだろうか?Seユーザーが与えた経験をSiユーザーが好むと、彼らはそれを記憶しておいて、またやりたいと思う。そして局所的、ミクロレベルの伝統が発生する。そして最終的にクリスマスや大きなお祝いとして定着するのである。人々は何度でもお祝いをしたいと思う。こうして伝統が生まれるのである。
SeユーザーとSiユーザーが上手く嚙み合うと、このように伝統を作り出すことができる。家族の伝統とはいいものだろう。伝統とは、Seユーザーに与えられた経験をSiユーザーが思い出すことで成立する。これがSJが「守護者」たる由縁である。彼らは伝統を守ろうとする。実際の経験よりも、「このような経験だろう」という思い込みの方がずっと大事なのである。相性の観点から言うと、内向的感覚と外向的感覚が出来るだけ近い位置にある必要がある。彼らはお互いにペアになりたがる。一方の自我が外向的感覚を望み、もう一方の自我が内向的感覚を望む。これが感覚機能の認知的シンクロニシティである。この関係では外向的な機能が一方的に経験を提供するだけでなく、内向的な機能が働きかけることもある。
なぜなら、Siユーザーは既に経験したことを覚えているからである。何かに取り組む時、Siユーザーは「これは既にやったことがある」と思い出す。Seユーザーは覚えていない。Siユーザーは「これは前にやったことがある。私と同じようにやってみて」とSeユーザーを指導する。Seユーザーは「わかった。自分もやってみたかったんだ」と言うかはわからないが、とにかくこのようにSiはSeに作用する。内向的感覚が経験を記憶として保存し、その記憶を外向的感覚に伝達する。すると外向的感覚の人々は不安を感じることなく、自分もそれをやってみたくなる。このように感覚機能はお互いを補うのである。
外向的感覚が与える感覚は必ずしも好ましいものではない。場合によっては、相手が望まない経験を押しつけることもある。それが良い経験であってもなくても、内向的感覚は全てを記憶し、他の人々が自分と同じ経験をできるように支援したり、復讐に利用したりする。二つの機能が美しく調和した時、人々が何度も繰り返したくなる伝統が生み出されるだろう。
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