前回は内向的直観という電波について紹介したが、今回はその外向バージョンである。外向的直観はあまり明確に定義されていない。それが何であるか、どのように機能するか、どのような知覚であるか、人々は理解していない。心理機能に限らず、「もう知っている」と思うことの大半を、人は理解していない。外向的直観を集合的無意識と呼ぶ人もいる。
NeユーザーはENTP、ENFP、INTP、INFP、ESTJ、ESFJ、ISTJ、ISFJである。外向的直観とは形而上的な認識を担う。形而上学とは物理学の反対である。つまり、これら二つの概念は陰と陽の関係である。物理学と形而上学はある種の平衡状態で結合されている。しかし、形而上学は人類に偏見を持たれている。これは四つの気質の分布を見ればわかる。気質については次のシリーズで説明するが、伝統主義者、職人、理想主義者、知識人のうち、SJとSPが70%を占めている。ただし、日本はNT国家なので、この話においては例外と言えるだろう。
Neチャイルド、またはNe劣等の人々をSJ気質と呼ぶ。外向的感覚の記事でSeの男性性について言及したが、外向的直観は女性的な機能である。このため外向的直観は性別によるタイプバイアスに晒されている。Neは集合的無意識、あるいは形而上学的な意識としても知られている。
人々は形而上的な認識を女性的な空想と考えている。それは現実に存在するものではなく、何か神秘的なものと思われている。したがって、それは重要なものではない。これがコミュニケーションで問題を引き起こす。Seの記事で話したように、SPたちにとって理論は現実に存在するものではないので、Neユーザーには何か欠陥があると見なすのが常である。何故そう思うのかと言えば、彼らが多数派だからである。私たちが住んでいる世界には、様々なタイプのバイアスが存在する。人々は、それが一般的であるという理由で、特定の性格や心理機能を好む。
物を床に落とすと、位置エネルギーは運動エネルギーに変換され、エネルギーそのものは失われない。人間が外部の環境を知覚する場合も似たようなものである。Seユーザーは物理的な環境を認識し、Neユーザーは形而上的な世界、つまり神秘的な代替現実を認識する。外向的感覚はありのままの現実がどうであるか、外向的直観は何が起こるか、何が可能であるか、人類の集合的に何が可能かを知覚する。それが集合的無意識という概念である。
外向的直観を持つ人々、特にNPは可能性に対してオープンである。内向的直観の「可能性」とは、自分にとって何が可能か、自分にとって最良の道は何か、という類のものである。外向的直観は、自分以外の全員にとって可能な全ての選択肢を把握している。Niは無意識の影に追いやられ、自分の未来に対してネガティブな色合いを帯びる。
例えば、ISTPは何が可能であるか考えることができない。Neは彼らのトリックスターにあるため、ISTPはどんなことが起こり得るか、形而上的な話を理解することができない。それは彼らにとって現実ではない。NPたちが「起こった」と思ったことは、ISTPにとって「UFOを見た」と報告されるようなものである。SJたちの方がそのような話に対する許容範囲は広い。彼らの潜在意識はNPである。しかし、彼らも形而上学よりも物理学の方が現実的で重要だという常識の世界に生きているので、理論や何が可能であるかという話に時間を費やすと非難されるだろう。
Neユーザーは何が可能であるかだけでなく、他人が何を望んでおり、何をしようとしているのかも認識することができる。これによって、何かが起こる前に未来を予測することができる。彼らは将来的に何が起こりうるか予測し、どの未来が実現する可能性が高く、どの未来が実現する可能性が低いかを直観的に知覚し、その可能性を高めるための決定を下す。
ここで確率のお勉強である。確率は外向的思考と外向的直観に関係している。Teが大好きな確率は、数学や統計を用いたデータのことである。Neの確率はデータではなく、自分が観察して知覚したものに基づいている。量子力学には、観察されていない時は全ての可能性に満ちているが、観察するとひとつの可能性に絞られるという話がある。つまり、Neで知覚したあらゆる可能性の中から、最も好ましい可能性を選択することができれば、それが実現する可能性は高まる。ただし、ぼんやりしているだけで直観が働くわけではない。Neは単体ではなく、Siと連動して機能する。
内向的感覚については次の記事で解説するが、Siは個人的な経験を提供し、「時間の第一法則」なるものに従っている。つまり、以前に起こったことは再び起こるという意味である。歴史は繰り返すのである。これまでに起こったことは全て再び起こる。したがって、過去に誰かが過ちを犯した詳しい状況がわかれば、同じ状況で何が起こるか予測することができる。それを食い止めるか、傍観しているかは別として、誰かが同じ行動を起こせば、将来どうなるか結果がわかる。だからNeユーザーが予測能力を高めるには、できるだけ多くの経験を積まなければならない。
Siが経験を積めば積むほど、Neによって未来を予測できるようになる。誰かが行動を起こす時は、全て特定のパターンに従っている。以前に起こったことは全て再び起こり、起こり得る未来にも従うべきパターンがある。全体を貫くパターンに気づけば、そこに至る状況で何を変えるべきかも分かる。
全ては繋がっているのである。全てのものは互いに依存しており、独立したものはひとつもない。NPたちは自分が言ったことの結果として、相手が取る行動がわかっている。Neは販売行為にも活用される。Neユーザーは優秀な営業マンになれる。彼らは相手が何を欲しているか察知して、それを満たす商品を作成・準備することができる。自分がそれを用意できない場合、他の誰かに頼まなければならない。あるいは、自分が持っているものを欲しがる人物を探してもいい。実は外向的直観とは将来を予測するだけでなく、他の人々が望むものを知り、その欲望に影響を与え、操作することができる。Niヒーローですら例外ではない。彼らは意志の力でNeヒーローが設置する潜在的な罠から逃れようとするが、Niペアレントは難しい。脱出に失敗すると、彼らはENxPの信者になる。
外向的直観を持たない唯一の気質はSPタイプである。SJ、NF、NTにはNeユーザーが所属しているが、SP気質にNeユーザーは一人もいない。職人には必要ないものなのであろう。なぜ彼らが自我にNeを持たないかと言うと、外向的直観による操作から身を守るためである。Neユーザーに操作されたり、何か現実ではないものの話で煩わされたり、要らないものを売りつけられそうになった場合、彼らは外向的感覚によって不快な経験を与える。そうするとNeユーザーのSiは嫌な気持ちになるので、撤退して態勢を整えなければならない。なぜ予期せぬ時に反撃されたのか、パターン認識を見直し、計画や将来がどのように展開していくか、水晶玉に訊ねる時間が必要である。
外向的感覚を打ち破る方法は、選択肢、潜在的な未来、最終的に取る可能性のある行動、それらの行動の結果によって彼らを圧倒することである。SPたちには、それほど多くの選択肢がない。多くて二択程度だろう。外向的直観はショットガンのようなものである。ショットガンが発射された後、全ての弾には可能な経路がある。その発射口は内向的感覚に繋がっており、全ての道はNeに通じている。
非公開だが、ブログ内に「サイコパスの精神分析」という記事がある。あれはNeユーザーがどのように人を操作すればいいか、参考に書いたものである。逆に、NiユーザーはNeユーザーの手口を知ることで、自分を防衛することができる。そのうち、人々の心理を操作する際に心理機能がどのように相互作用するかも投稿するので、楽しみにして貰いたい。
コメントを残す