ESTJ、ESTP、ENTJ、ENFJのイン・チャージに属するタイプの人間関係を紹介し終わったので、今回からはESFJ、ESFP、ENTP、ENFPのスターターの出番である。私のブログで最も人気が無いのはESFJである。本人たちだけではなく、他のタイプからも興味を持たれていないと思われる。
ESFJと最も社会的適合性があるのはSP、次にNJ、三番目にSJで、最後にNPである。何度も言っているが、社会的適合性とは友情関係である。これは基本的な人間関係であり、深く意味のある関係から浅い関係まで、友情のスペクトルを示している。これは心理機能に基づいた互換性であり、仲間意識ではない。仲間意識とは、SFJ同士、SJ同士のような関係である。同じ気質、同じインタラクション・スタイルも仲間意識を持つ。人は何らかの共通点がある相手に仲間意識を持つが、それは互換性が高いことと同義ではない。
仲間意識について別のシリーズが必要かもしれないが、ここで紹介しているのは社会的互換性であることを覚えておいて欲しい。ESFJと互換性があるのは、SFP、NTJ、STP、NFJ、NFP、STJ、NTP、SFJの順である。更に細分化すると、ISFP、ESFP、INTJ、ENTJ、ISTP、ESTP、INFJ、ENFJ、INFP、ENFP、ISTJ、ESTJ、INTP、ENTP、ISFJ、ESFJとなる。一番上は深く有意義な関係、最下位は浅く表面的な関係である。今回も上位と下位4つのタイプを取り上げる。
まずESFJとISFPだが、ここには倫理と道徳が最上位にある。基本的に、ESFJは道徳的な人々を消費することを目的としている。ESFJは道徳意識の高い人々がいると安心するが、ISFPはその期待を裏切らない。ISFPは自分の気持ちを知っており、ESFJは相手の気持ちを知っている。ISFPは相手に良い経験を与えようとしており、ESFJは良い経験を得ようとしている。ESFJは自分の経験を認識しており、ISFPは相手の経験を認識しているので、ここにも矛盾がない。
ESFJは相手がやりたいことをやる自由を確保しており、ISFPはやりたいことを何でもやる。誰かが欲望を伝えると、ESFJはそれを行動するための境界線として利用する。自分の周りに箱を作るような感じである。「彼はこれを望んでいるので、私はこれをしなければならない」と義務を定義する。これによって倫理的なルールや境界線を破っていないことを確認できるので、彼らは満足する。
四番目の機能には、不安がある。ESFJは自分が愚かであることを恐れており、ISFPは他人がどう思うかを恐れている。ここには、ESFJが思慮深い人間になる余地がある。Siペアレントと組み合わさると、特に恋愛関係において、ESFJは最も思慮深いタイプである。彼らは他の人々が何を望んでいるかを覚えているので、思慮深く行動し、贈り物をする。ENFJは忘れてしまうので、ESFJの方がより思慮深いと言えるだろう。したがって、ESFJは自分の考えを知っており、ISFPはESFJの考えを知っている。
Fiネメシスにより、ESFJは自分が悪人であることを心配しており、ISFPは周りの人々が悪人であることを心配している。彼らは自分が善人であることを知っている。ISFPは「あなたはそんなに悪人じゃないよ」とESFJに言ってやる。あるいは「利己的でごめんね」と謝ることもできる。非常に愛に満ちた状況ではないか。
次にSeクリティックだが、ESFJは他人の服装に極めて批判的である。一方、ISFPは自分の経験に批判的であり、「イチゴ味のアイスクリームは食べない」という道徳規範を持っている。それは良いことではないからである。ESFJが批判するまでもなく、ISFPは全てを理解している。そしてNiトリックスターにより、ESFJは自分が何を望んでいるかわからない。ISFPも他人が何を望んでいるかわからない。つまり、ESFJの望みは置いておいて、物事は進行していく。ISFPは何が真実であり虚偽であるか気にしていないが、ESFJも気にしていない。彼らは自分の考えに不安を感じないように集中しているので、他人が嘘を吐いていても気づかない。これら二タイプの心理機能は完全に連携しており、最高の互換性が実現できる。
次に良いのはESFPである。ヒーロー機能にはペアレントに耳を傾ける余地がある。彼らは楽観的だからである。ペアレントは悲観的な機能なので、ヒーローの立場を尊重する。彼らの仕事は子供を守ることである。これらのタイプは謙虚に互いを尊重しながら、連携する。ESFPはESFJが知る以上の経験を与え、ESFJはESFPが望むことを決められるように選択肢を与える。全ての選択肢はESFJが経験したことであり、何を選んでも間違ったものを望む恐れはない。ESFPはとても良い気分になり、ESFJが自分を高く評価してくれることに満足する。
そしてESFJは自分が悪人であることを心配しているが、ESFPは他人の価値観に批判的である。だからESFPはESFJの価値観を批判して、十分に善人だと思わせてやる。ESFPは自分の今までの経験を心配しているが、ESFJは良い経験を提供して、新しい思い出を作ることができる。それをESFJがやりたいかどうか、ESFPは気にしない。ESFJもESFPが何を考えているか気にしない。ESFPは何も考えていない。彼らは論理的思考が苦手なので、信念体系を構築する必要がある。彼らは真偽ではなく、信念体系に基づいて行動する。ESFPはESFJから思考を吸収し、論理的根拠を生み出し、ESFJとの関係に基づいた新たな信念体系を作り出し、より良い関係を築くことができる。
彼らは互いの機能に同調しており、探しているものを互いの自我で見つけることができる。ESFJとINTJの関係でも同様である。これは非常に一般的だが、奇妙な関係でもある。三番目の互換性が、結婚では最も普遍的な組み合わせである。性的な関係では、ESFJとINTJは五番目に位置するが、社会的な互換性では三番目である。この関係はヒーローとチャイルドがチームを組み、互いの為に世界を救い合う。Niヒーローは自分が何を望んでいるか知っており、ESFJは境界線を推測する必要が無い。そしてFeヒーローは常にFiチャイルドを気分良くさせようとしている。したがって、そこには優れた互換性がある。劣等SeでもSiペアレントに経験を提供することはできるが、INTJがパフォーマンス不安を克服できないと、ESFJは特に寝室で苦労することになる。だからINTJがESFJと友情に留まらないロマンチックな関係にある場合、できるだけ早く恐怖を克服する必要がある。ESFJは非常に忍耐強く、他人の目が無い室内では自由を与えるので、INTJはこのタイプを相手にパフォーマンス練習を積むといい。
Teペアレントは、自分が望むほどESFJが思慮深くないことを指摘して、対立を生み出す可能性があるが、それでも互換性はある。劣等Tiは憎悪、批判、苦い思いを生み出すことを覚えておくと良い。彼らは実際より馬鹿に見えるが、それはサポートが得られないことを恐れているだけである。Feトリックスターは、ESFJの道徳的な心配に気づかない。また、NeネメシスはESFJの望みを全く探知できないので、適当なソリューションをあてがうことになる。問題はSeクリティックである。ESFJはSiデーモンを攻撃する可能性がある。それは非常に稀ではあるが、ESFJはINTJの過去を掘り下げないように気を付けて欲しい。
ESFJとENTJは、INTJと似ているが、自己啓発系的な関係である。彼らは首尾よくお互いを成長させる。ENTJは資格の取得や財務上の決定において、覚えるべきことをESFJに指導する。この関係の問題点は、ペアレントがチャイルドにリンクされているため、親子間で対立が生まれる可能性がある。しかしヒーローと劣等機能は素晴らしい組み合わせであり、ヒーローの導きで人々は「願望」の道に辿り着く。ESFJとISFP、ESFJとESFP、ESFJとINTJ、ESFJとENTJは社会的適合性のトップ4である。
次に否定的な関係に移る。ESFJとINTPは正反対である。FeヒーローはFiデーモンと話そうとしているが、お互いに相手の話が不明瞭だと感じる。ソシオニクスではこれを双対関係と呼び、お互いにとって最適な関係だと信じ込ませようとしているが、これは100%完全に間違いである。これを真に受けて正反対の相手と結婚するという愚行は、何としても避けなければならない。ESFJとINTPは虐待的な関係である。ENTPでも大差はない。彼らは同じ心理機能を持っているので、競争が発生する。ESFJはINTPを言い負かそうとする。そして会話するだけで、多大な精神エネルギーを消費するのである。
それからSFJの仲間たちがいる。彼らからESFJが必要なものを得るためには、影の深くまで潜り込まなければならない。女性の集まりが険悪になるのは、SFJ同士の抗争が大きな要因である。ESFJ同士は全く機能しない。ESFJは相手が自分を快適にさせようとしていないことを、Seクリティックで批判する。悲観的な批評家が、悲観的な親を攻撃するのである。これをミスター・ペシミズムと呼ぶ。トウィードル・ディーとトウィードル・ダムのように、お互いに腕を組んでしかめっ面で座っているようなものであろう。自分の方が優れたESFJであることを証明するために、お互いにFeで相手をけん制し、相手の身だしなみを批判する。
余談だが、私の両親はISFJとESFJである。彼らは市民としての義務を果たすために結婚したが、幸福ではない。このような状況に陥らないためにも、相性の悪いタイプを避けて、互換性の高いタイプと付き合ってもらいたい。「普通」に見える人間が、最良の選択肢とは限らないのである。
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